陸軍御用船「第二南越丸」
文字色大阪冬の陣・戦利品特集。
今日は、日露戦争終結後(戦時中も)に展開し続けていた各部隊に補給や、部隊の入れ替えの為に、陸軍使用していた船舶のご紹介です。(説明長っ!)
陸軍御用船「第二南越丸」です。

差出は、元山、明治40年1月2日の年賀状です。
この「第二南越丸」は、日露戦争勃発直後に日本に急遽、陸軍御用船(物資輸送)用に輸入された中古船で、進水(竣工)は、明治23(1890)で、前船名は「ROTOKINO」(英連邦・オーストラリア船籍?←ココ自信なしっんグゥゥ!!)、2.128tの船でした。
元山の消印がかわゆい葉書ですね♪
この船はオーストラリアでは無くニュージーランド船籍でした。・・・・しかも、名前まで間違ってるし・・・「BOTOKINO」×→「ROTOKINO」○でした。(><)
毎度の事ながら・・・hush様、アホな磯へのご指摘、有難うございましたm(_)m
ホンマ・・・磯は・・・アホです・・・(TT;)
今日は、日露戦争終結後(戦時中も)に展開し続けていた各部隊に補給や、部隊の入れ替えの為に、陸軍使用していた船舶のご紹介です。(説明長っ!)
陸軍御用船「第二南越丸」です。

差出は、元山、明治40年1月2日の年賀状です。
この「第二南越丸」は、日露戦争勃発直後に日本に急遽、陸軍御用船(物資輸送)用に輸入された中古船で、進水(竣工)は、明治23(1890)で、前船名は「ROTOKINO」(英連邦・オーストラリア船籍?←ココ自信なしっんグゥゥ!!)、2.128tの船でした。
元山の消印がかわゆい葉書ですね♪
この船はオーストラリアでは無くニュージーランド船籍でした。・・・・しかも、名前まで間違ってるし・・・「BOTOKINO」×→「ROTOKINO」○でした。(><)
毎度の事ながら・・・hush様、アホな磯へのご指摘、有難うございましたm(_)m
ホンマ・・・磯は・・・アホです・・・(TT;)
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コメント
第二南越丸の前身について
hush様
毎度毎度の添削有難うございますm(_)m。
しかし・・・ホント、自分で言うのも何ですが・・・私って・・・本当にアホですな・・・汗。
hush様に教えて頂いたHP・・・大変勉強に成りました。
>福井丸
うちのブログに、海軍に買収されて直後の福井丸のエンタをUPしています。
検索してみて下さいm(_)m
Rotokinoの名前変更と、元の所属国名は、ブログ中では変更いたしました。
本当に有難う御座いましたm(_)m
hush様は、磯の本当に心の師ですm(_)m
一度、ゆっくりとお会いして、色々とご指導願いたいです。m(_)m
毎度毎度の添削有難うございますm(_)m。
しかし・・・ホント、自分で言うのも何ですが・・・私って・・・本当にアホですな・・・汗。
hush様に教えて頂いたHP・・・大変勉強に成りました。
>福井丸
うちのブログに、海軍に買収されて直後の福井丸のエンタをUPしています。
検索してみて下さいm(_)m
Rotokinoの名前変更と、元の所属国名は、ブログ中では変更いたしました。
本当に有難う御座いましたm(_)m
hush様は、磯の本当に心の師ですm(_)m
一度、ゆっくりとお会いして、色々とご指導願いたいです。m(_)m
福井丸
>福井丸
拝見させて戴きました。
随分と貴重な時期のものですね。
と言うか、残っているのが驚きであります。
しかし、当時の百円っていくらぐらいか分かりませんが、随分な高額ですね。
ところで、最近、常陸山の事を調べていたら、この大横綱は広瀬武夫と義兄弟の縁組をする程の仲だったようです。
広瀬の戦死後、常陸山は大連から船に乗る直前に奉納相撲をするんだと、突然、予定を変更して旅順に行ったそうです。ところが、翌日、大連へ戻ってきたら、乗る予定だった船が沈没していて、常陸山死亡の号外が出ていたとか。
世の中にはいろんな事がございますね。
拝見させて戴きました。
随分と貴重な時期のものですね。
と言うか、残っているのが驚きであります。
しかし、当時の百円っていくらぐらいか分かりませんが、随分な高額ですね。
ところで、最近、常陸山の事を調べていたら、この大横綱は広瀬武夫と義兄弟の縁組をする程の仲だったようです。
広瀬の戦死後、常陸山は大連から船に乗る直前に奉納相撲をするんだと、突然、予定を変更して旅順に行ったそうです。ところが、翌日、大連へ戻ってきたら、乗る予定だった船が沈没していて、常陸山死亡の号外が出ていたとか。
世の中にはいろんな事がございますね。
hush様
>当時の百円
多分・・・福井丸の売却金のいちぶでしょう・・。多分ですが・・・。
>常陸山
このトピックスは、初耳です。
ホント・・・世の中は色々な事がありますね。
知識は、心の泉ですから、初めて知った内容は、私を潤してくれます。
ありがとうございます。
>当時の百円
多分・・・福井丸の売却金のいちぶでしょう・・。多分ですが・・・。
>常陸山
このトピックスは、初耳です。
ホント・・・世の中は色々な事がありますね。
知識は、心の泉ですから、初めて知った内容は、私を潤してくれます。
ありがとうございます。
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http://www.clydesite.co.uk/clydebuilt/viewship.asp?id=10669
に、詳しい事が記載されておりますが、1890年4月3日にイギリス、ダンバートンのウィリアム・デニー社で第435番船として進水した貨客船です。1890年に竣工しニュー・ジーランド、ユニオン汽船Union Steamship Co of New Zealandに引渡されておりますが、船籍がダニーディーンになっておりますので、当時のイギリス領ニュー・ジーランドの船となります。この船は、1905年に福井県南条郡河野村(現在の南越前町)の右近権左衛門が購入し第二南越丸と改名しておりますので、
貴ページに記載がありますように日露戦争時の緊急購入船でありましょう。その後、1912年9月16日に同船は台風による座礁事故で失われたとありますが、事故地のTaipanrokuがどこを指すのかは分かりませんでした。
また、船主の右近権左衛門は北前船の船主として有名だった右近家の十代目で、旅順閉塞戦で「杉野はいずこ」の広瀬武夫が乗り組んだ福井丸の船主でもあります。
以上、御参考までに。