2007-03

グアム島の米軍摂取印

今日は、日本軍が玉砕したグァム島での米軍が摂取した軍事郵便をご紹介しましょう。

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この軍事郵便は、楠公2銭葉書を使用した無料軍事郵便です。差出人のアドレスは、急遽戦地に転戦が決まったらしく、旧アドレスのままです。(ですから何処から差し出された軍事郵便なのか不明です。)
この宛先人のアドレス、横須賀防備隊ならば内地ですが、この人もこの手紙を持ったまま転戦したのでしょう。そこに米軍の摂取印が押して有ります。この摂取印の中の番号「55」がグァム島で使用された事が判っています。ですので、この軍事郵便もグァム島で摂取されたものとおもわれます。この軍事郵便の状況からしてやはりこの手紙の主は戦死なさっていつのでしょう・・・・。
心からご冥福をお祈りいたします。合掌。

因みに、先日ここのブログで少し触れました、郵便学者・内藤陽介氏のブログにもまったく同じ「55」の摂取印が押された満州軍(第29師団)に宛てた軍事郵便(06年8月9日、記事)が紹介されており、その方も軍隊の転出でグァムで多分戦死されているとおもいます。参考までにそちらのブログもご参照下さい。
(↑すいません、また、勝手な事書いちゃってます・・・汗。)

やはり、このタイプの摂取品は心情的に余り気分の良いモノではありません。
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お詫び

今日付けの私の記事で使用した画像がまちがってUPされておりました。m(_)m

何を勘違いしたのか、病院船の「高砂丸」からの軍事郵便と間違って雑役船の「妙高丸」をUPしちゃってました・・・・汗。
多分画像用のマテリアルを探している時に無意識に間違っていたのでしょう。(言訳100%)

正しい画像の再UPは、実物を探しますので数日、お時間を頂きたく思います。(なんせ・・この記事(3/30付けの病院船「高砂丸」)↓も何日も前の作り置きなんですから・・汗)

因みに・・・今日の記事で間違ってUPしていた画像はコレです。
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雑役船の「妙高丸」からの軍事郵便です。

板谷汽船(板谷商船)の所属で、三井玉造船所で昭和12年に竣工。15年9月18日に海軍が徴用し佐世保鎮守府所管特設運送船(雑用船)になり、18年6月17日にトラックからラバウルへ航行中、アメリカの潜水艦(SS228ドラム)の魚雷で亡失しています。



いやぁぁ・・・ホンマ・・何考えてたのか・・・・??
申し訳ございませんでした。
そして、この間違いにいち早くお気づきになられたhush様、有難うございました。m(_)m

この記事もまた、hush様のご指摘で記事の間違いが発覚!3月31日付けで、再編集いたしました。
hush様、本当に有難うございました。m(_)m
そして、磯の「馬の足」が又、あらわに・・・

病院船「高砂丸」

一昨日、出し惜しみしました「高砂丸」からの軍事郵便です。
おい!昨日の今日かい!ってのは無しですぜ・・・一日ちゃんと置いたんですから・・・・Ψ(`▽´)Ψ

「高砂丸」
大阪商船所属の商船として三菱重工長崎造船所で昭和11年、進水。12年4月、竣工。神戸=基隆間の台湾航路に就航。

徴用され連合艦隊付属特設病院船として使用。

昭和20年8月15日、僚船筑紫丸(特設潜水母艦)とともに残存(高砂丸は舞鶴で終戦)し復員輸送に従事後広島県因島沖で係留。

昭和31年、堺で解体。

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病院船「高砂丸」からの軍事郵便です。

・・・・しかし、この高砂丸、実は同名の船が存在するのです。
日本水産(彦島)漁船で、竣工後海軍が徴用し特設掃海艇なった275tの船です。戦歴は割りと面白い船です。
まぁぁぁ・・一応、今日ご紹介した高砂丸は葉書の文面からも病院船の方の高砂丸と判断していますΨ(`▽´)Ψ

う・・・ん、自分の好きな分野の記事書いていると本当に楽しいですね(記事のソース自体はほぼ盗作ですが・・・汗)Ψ(`▽´)Ψ こんな記事書き続けていると、今日の文中に出て来た特設潜水母艦の「筑紫丸」のUPしたくなっちゃいますが、あまり続けて悪ふざけしてると本当に怒られそうなので、この辺で止めておきましょう♪
そう言えば・・・特設巡洋艦の「浮島丸」も病院船の「氷川丸」もまともに記事を書いたら2日も記事が稼げたのに・・・と今時分になって遅い後悔をしている磯でした。

独立混成第82旅団

陸軍も新しいシリーズを始めましょう♪
「独立混成旅団」シリーズです。

今日は「独立混成第82旅団」からの軍事郵便のご紹介です。

この旅団は、昭和20年2月1日に、第二野戦補充隊を基幹に株州(湖南省)で編制され、補充地は金沢でした。通称号は「至烈」を使用し、編制完了は3月10日で、第20軍の隷下にはいりました。以後、補充隊の地区の警備、後方の警備などをしながら編制された地で終戦を迎えました。因みにこのクラスの独立混成旅団の編制規模は、兵員8400名、軍馬1200頭でした。

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この軍事郵便のアドレスは、中支派遣、至烈第17824部隊で独立歩兵491大隊です。

昨日が長い記事だったので今日は短めです♪

第二氷川丸

戦後まで生き残り、戦後ブラジル移民船などになった病院船の「氷川丸」は、有名だとおもいます。
が、そこはひねくれモノの磯の事、今日は同じく病院船の「第二氷川丸」をご紹介しましょうΨ(`▽´)Ψ

この「第二氷川丸」のご紹介前に、先ずは有名な「氷川丸」からの軍事郵便をご紹介しましょう♪

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横須賀局気付、氷川丸からの軍事郵便です。

さて、この「第二氷川丸」と言う船も鹵獲船の一族で、オランダ・アムステルダム・ネーデルランド造船所で建造され、「オプテンノール」号(6076t)と名づけられて1927年11月からバタビアを拠点にシンガポール・サイゴン・バンコクなどを結ぶ航路に貨客船として就航していました。日本とオランダが戦争状態に突入したことによって、数奇な運命に見舞われます。

昭和16年12月8日、オランダ海軍に徴用。

昭和17年2月19日、スラバヤのオランダ海軍施設にて病院船へ改装。2月4日、オランダ赤十字社と駐日スエーデン公使を通じて日本政府に病院船として通告。2月26日、日本駆逐艦「天津風」により拿捕。12月5日、横浜港到着。
オランダ人乗員15名,医師7名,看護婦50名は他の捕虜とともに日本に連行され、大部分は広島県内の収容所で過ごしたのち戦後帰国を果たしています。が、この拿捕時、このオプテンノールは、国際法違反をしておらず、戦後賠償問題に発展しています。

昭和18年3月31日、三菱重工横浜造船所で改装され「天応丸」と改名。

昭和19年10月、横須賀海軍工廠で再改装、ダミーの煙突で偽装し、真水タンクの改装など船倉、外貌もかなり改造、総トン数も5500tになり、名前も11月1日、「天応丸」が「天皇」と同音で不敬にあたると言う表向きの理由で「第二氷川丸」と船名を変更。この時密かに重油タンクが設備され、その後、南方に派遣されると極秘のうちに重油、航空燃料、液体アンモニア、塩青酸カリ、生ゴム、ダイヤモンド、銀塊、暗号書、兵員などの違反物質を輸送。

昭和20年7月24日、舞鶴入港。8月18日、舞鶴軍港において自爆処分。これは、この船の拿捕にいたる経緯などと戦時中の行動などの事実の隠蔽のために自沈処分が命令されたと言われています。

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これは、昭和19年11月1日以降、再改名された「第二氷川丸」から差し出された軍事郵便です。

蛇足
その後に舞鶴港で引き上げ船の元海軍徴用の特設巡洋艦「浮島丸」が8月24日に接雷により沈没した話とごっちゃになって、一時期「浮島丸自爆」説や、「第二氷川丸の財宝隠匿」説などの話の元になったらしいですΨ(`▽´)Ψ

おまけ
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特設巡洋艦「浮島丸」からの軍事郵便です。

蛇足ーその2
因みに、上記の「氷川丸」も終戦時、僚艦「高砂丸」と共に舞鶴の港に並んで係留してあったらしいです。


どうでしょう??今日は、珍しく画像がいっぱい、文章もいっぱいでしたよね♪文章は、いつもどうりあちこちからの盗作の合作です♪今日は主に光人社から出版されている本からぱくった記事が主体です。
・・・あっ今、気づいたのですがこの「第二氷川丸」も鹵獲艦の一族なんでしたね・・・・てへっ。
今日は、このまま勢い余って「高砂丸」までご紹介しそうになっちゃってますが、良く考えるとネタを出しすぎると後でネタ切れ起こすので今日はこの辺でやめておきましょうΨ(`▽´)Ψ

従軍看護婦

すいません、今日は野暮用で何もネタを用意していませんでした。
今日は、恒例の画像のみUPでおゆるしくださいm(_)m

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今日、ご紹介するのは「日赤救護班」の従軍看護婦さんの手紙で、この方は内地の海軍病院に派遣されて居た様です。


明日から又、いつもどうりに戻る予定です。

鹵獲軽巡洋艦 五百島

個人的な趣味でシリーズ化してしまった、「鹵獲艦シリーズ」シリーズ化第一回は、鹵獲軽巡洋艦「五百島」からの郵便ですΨ(`▽´)Ψ

この艦(ふね)の読みは「イオジマ」そして昨日は「イオウジマ」・・・いや!・・・ワザとじゃ無いです・・・本当です!!偶然です!!!・・・昨日、ちょい頭んなかをかすめたなんて・・・ウソですから・・・皆さん!信じない様に!!Ψ(-▽-;)Ψ

鹵獲軽巡洋艦(海防艦兼航空基地移動用輸送艦)「五百島」
播磨造船で昭和7年、竣工。昭和12年、日本機の爆撃により揚子江沿岸で擱座。13年5月、日本が浮揚。6月10日、以降、相生湾で放置。
昭和18年末、播磨造船で海防艦兼航空基地移動用輸送艦に改造開始された中華民国の寧海級巡洋艦「寧海」を19年6月1日、「五百島」と改名。6月20日、横須賀防備戦隊に編入。同・28日、工事完了。
7月9日、横須賀入港後横須賀防備戦隊に編入。9月25日付けで二等巡洋艦に転籍予定中であったが、9月19日、父島向け船団を護送中、静岡県御前崎南方60nmでアメリカ潜水艦(SS235)シャドの発射した魚雷を受けて沈没。11月10日、除籍。

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この葉書は、まさに「五百島」が改装工事が完了した昭和19年6月28日に相生市の播磨造船所内にあった「五百島※艤装員事務所」から差し出された手紙です。
この艦はこの後、わずか2ヶ月強で亡失してしまう運命の短命艦です。

※艤装員
とは、軍艦の場合、名前が銘銘されると正式に軍に編入される為に、軍から造船中の艦に派遣された軍人を指し、艤装員は普通そのままその艦の初代乗り組み員になる事が多く、その艤装員長は初代館長になる事が多い。

・・・最近、我ながら結構真面目に更新してると思うのですがどうでしょう??Ψ(`▽´)Ψ
あっそうそう・・・・リクエストにあった、鹵獲砲艦の「多々良」ですが、所在がつかめました♪ちょっと前に私が観た記憶はやはり正しかったのです。実は、この会の事務局長(AKAGI氏)が、我が軍事郵便保存会の所蔵庫に来襲の折、この5月?だったかに東京で開く展示会の作品に使用すると言う名目で持って行っておりました。昨日、このブログを観て、報告がありました・・・・汗。
この「多々良」につきましては、後日、その品物が返還された折にUPする予定をしておりますΨ(`▽´)Ψ

御照會ニ關スル件回答

今日は、先日の「硫黄島」特集の際、ご紹介するのを忘れてた(・・・つっこまないでください・・ハイ!自分でよぉぉく自覚しております。)マテリアルをご紹介しましょう。

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この葉書は、元軍事郵便葉書を戦後、※横須賀地方復員局人事部が流用し、料金別納便で差し出された葉書です。
この葉書は、説明は不要ですね。各自、文面をよく読んで頂きたい葉書です。

※横須賀地方復員局
とは、戦後、海軍省が20年11月15日に解体された後、その残務処理及び国内外の海軍軍人の早期帰国の為に組織された機関、第二復員局の下部組織です。
因みに、陸軍の陸軍省は、同日、第一復員局となっています。

第15師団

昨日のリクエスト2で公言しました通り、今日は師団シリーズの第15師団からの軍事郵便をご紹介しましょう。

第15師団は、歴史が古い師団で、明治38年4月、日露戦争末期に創設され、ポーツマス条約後は満州及び朝鮮半島の警備に従事しましたが、大正14年に一旦廃止されています。昭和13年4月4日、名古屋での編成で復活し、補充担当は敦賀とされ、師団の通称号は「祭」でした。
師団は8月、上海に上陸、中支那派遣軍隷下として治安維持に当りました。太平洋戦争勃発後も暫くそのままでしたが、18年6月にビルマの第15軍に編入され、年末までにビルマに進出し、第15軍師団長、牟田口中将が主張するインパール作戦に投入されました。
インパール作戦については、此処では長くなるので割愛させて頂きますが、この師団のご紹介でインパール作戦に投入された3つの主力師団すべてをこのブログで紹介した事になります。
師団はこの後、19年末にイラワジ川まで後退しましたが、翌月から英印軍とイラワジ川会戦と呼ばれる激しい戦闘の後、師団の戦力をさらに消耗しつつタイ領内(カンチャナブリ)に後退した所で終戦を迎えました。
師団の戦死者は1万5273名でした。

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この軍事郵便のアドレスは、ビルマ派遣 祭7367部隊で、第15師団、工兵第15連隊からさしだされたものです。

リクエスト 2

今日も以前にリクエストを受けていたモノをUPしましょう♪

独立混成第15旅団(胄)差出の軍事郵便です。
本当は、リクエストを受けていたのはこの部隊の後身、第63師団(陣)なのですが、如何せん又、雲隠れしてしまい(こればっかりですね・・汗・・・リクエスト受けて4ヶ月近くも放置してまして・・・汗汗。)その前身の軍事郵便で許して頂くつもりでコイツを持って着ました。

本当は、リクエストしてくださったお父様が戦死された時に所属されていた部隊を持って来たかったのですがそれが出来ない事が心残りです。
マジで頑張って探しますので今日の所は、これで勘弁してくださいm(_)m

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この軍事郵便のアドレスは、北支派遣、胄第2995部隊で、独立混成第15旅団、独立歩兵第80大隊です。

この部隊は、昭和14年に北京で編成され、補充担当は宇都宮で、編成後は北支派遣軍の隷下で、北京市内に司令部を置いていました。治安地域は九州ぐらいの広さで、旅団長は北京防衛司令官も兼任していました。昭和18年5月1日、旅団の現地復帰下令、この旅団を基幹に独立混成第6旅団の一部を編入して第63師団を編制して旅団は解体しました。
この第63師団は、20年5月、関東軍へ、8月9日のソ連軍侵攻により第44軍に編入、奉天で防御戦中に終戦を迎えました。
因みに、今日UPした独立歩兵第80大隊もそのまま第63師団に編入されて、終戦時は満州でした。

こんなんで、お許し願えないでしょうか?
あと、もう一点、リクエストに有りましたおじ様の第15師団(祭)は、明日に師団シリーズとしてUPさせていただく予定です。

リクエスト

ここの所、濃いぃぃぃお話ばっかりだったので、今日は趣向を変えてリクエストを頂いたものを掲載しましょう。

鹵獲砲艦です。
鹵獲砲艦とは書いてその字の如く、敵の所属艦艇(砲艦)を摂取後日本軍が使い易い様に整備して日本軍の軍籍に入れた艦艇です。

リクエストにあったのは鹵獲砲艦「多々良」だったのですが、確か、昭和17年消しで第二海軍軍用郵便所の消印の有る、日本赤十字社あての公用軍事郵便を所有しているはずなのですが、ちょいと雲隠れして出て来ないので、代わりに同じく鹵獲砲艦の「唐津」を持ってきました・・・汗。

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無料軍事郵便で、アドレスは、呉局気付軍艦唐津となっています。

鹵獲砲艦「唐津」
昭和17年5月6日、アメリカ、ルソン級河用砲艦ルソンがマニラ湾コレヒドール島沖で自沈。5月末、日本が浮揚し第103工作部で修理して8月1日、佐世保鎮守府籍軍艦唐津と改名、唐津級河用砲艦(単一艦種)となり第3南遣艦隊に編入。

18年9月28日、給油艦早鞆を護送中、パナイ島近海でアメリカ潜水艦(SS290)シスコを爆雷攻撃により撃破後、セブ島より飛来した第954航空隊所属の97式艦攻2機とともにこれを撃沈。

19年3月3日、ミンダナオ島北西のスールー海で対潜作戦中、アメリカ潜水艦(SS167)ナーワールの発射した魚雷を受けて艦首を喪失しマニラに帰投。

20年1月22日、マニラ脱出に失敗。2月5日、第103工作部で修理中、海軍部隊のマニラ撤退により爆破処分。

リクエストに有った「多々良」は、発見し次第UPさせて頂きますねm(_)m・・・・おっかしいなぁぁ・・・つい、1、2ヶ月前にちょい野暮用で見かけたのですが・・・汗。(言訳・・言訳・・)

悲劇の駆逐艦「深雪」

皆さん、「深雪」と言う駆逐艦をご存知でしょうか?

吹雪級(Ⅰ型)駆逐艦「深雪」

1923年(大正13年)計画。
一等駆逐艦として浦賀船渠で昭和2年4月30日、起工。
昭和3年5月29日、進水、第35号級駆逐艦、第38号駆逐艦(4/24)と銘銘。
昭和3年8月1日、吹雪級(Ⅰ型)駆逐艦(4/24)「深雪」と改名。
昭和4年6月29日、竣工し姉妹艦「吹雪」「白雪」「初雪」と第11駆逐隊を編成し第2水雷戦隊に編入。
昭和6年、第11駆逐隊から吹雪を除去。

昭和9年6月29日、大藤正直(兵39)中佐の指揮下に朝鮮半島南部、済州島南方で演習中、姉妹艦「電」が艦中央部に激突、船体を両断されて後部は沈没し3名が死亡、2名が行方不明となり4名が負傷(前部は軽巡洋艦那珂が佐世保へ曳航中に放棄)。8月19日、除籍。

竣工後、わずか丁度5年で事故により亡失した駆逐艦です。
この年(昭和9年)に起きた「友鶴事件」や次の年の「四艦隊事件」が有名で、その陰に隠れがちな事故ですが、最新鋭駆逐艦の事故での亡失という一大事件でした。

今日ご紹介する手紙は、この事故直後に軽巡洋艦「那珂」に救助された方の安否報告の手紙とその後、艦が除籍されるまでに書いた手紙のこれコレスポンデンス(書簡集)です。
この方の手紙は、昭和8年9月に「深雪」に転属する時から所蔵しておりますが、今日は事故直後の2通をご紹介しましょう。

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先ず、一通目の手紙です。
差出の日の消印は昭和9年7月2日、佐世保となっていますので事故後の第一便(文面に「今佐世保に入ります」と有るので軍艦那珂の艦内で書かれた手紙)とおもわれます。文中に「那珂便乗中」が、当時の状況を良く表している手紙ではないでしょか。

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2通目の手紙です。
日付の消印は9年7月23日の佐世保と有りますが、書き込みは11日の様です。内容は4枚の便箋の手紙ですが、此処では抜粋して、1P、2P、4Pをご紹介します。
文中に「※残務処理」という言葉や、「初上陸」と言う言葉が、色々と考えさせられる手紙です。

※残務処理
普通、海軍の艦艇が亡失した場合、元その艦の乗組員などが、その艦を除籍させる為に行う後処理の事で、これが終わるまでは、実際にその艦はもう亡失しているのに帳簿上は存在しているという、不思議なタイムラグが生じます。
(この「深雪」の2枚目の手紙のアドレスも船は無くなっていますが、除籍が8月19日なのでそれまでに書かれた手紙なので、沈没前に属していたアドレスがそのまま記入されています。)


今日は、昨日の公約どうり真面目にやりとげました♪
今日のアイテムは歴史の生き証人みたいな手紙だと私は思うのですがどうでしょう?

蛇足
旧帝国海軍では、事故などで亡失した船に付けられていた船の名前(「畝傍」とか「千島」とか「高千穂」とか)は縁起をかついで継承しない慣わし(そりゃーそーだ)が有り、この「深雪」と言う名前もそれ以後の艦艇の名前で使用されてません。
・・・個人的には良い響きの趣有る良い名前で好きなんですが・・・「深雪」。

昨日・・のたまってた「四艦隊事件」うんぬんはスペースの関係で又今度、気が向いたら此処でご紹介しますね。
(実は昨日の記事からはもう削除済みなのだΨ(`▽´)Ψ )

黄海海戦-軍艦「松島」

今日は、少し趣を変えて少し古い時代の軍事郵便を持ってきました♪

今日は少し欲張って、あの有名な黄海海戦で旗艦を勤めた巡洋艦の「松島」のご紹介です。

黄海海戦
1894年(明治27年)9月17日に大日本帝国海軍連合艦隊と清国北洋艦隊の間で戦われた海戦で鴨緑江海戦とも呼ばれています。初めて近代的な装甲艦が実戦に投入された戦いとしても知られいます。この海戦の結果、清国海軍は大きな被害を被り制海権を失い、清国海軍が日本を脅かす事は二度と有りませんでした。
この海戦では、日本海軍艦船に沈没艦は有りませんでしたが、旗艦の巡洋艦松島、巡洋艦比叡、特設巡洋艦西京丸、砲艦赤城の4隻が大破しました。

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この軍事郵便は日清戦争中の出来事。黄海海戦直後に旗艦の軍艦「松島」から差し出された公用軍事郵便です。

軍艦「松島」
1885年(明治18年)、計画第2(一等)海防艦。
1887年 6月 6日、松島と命名されフランス、地中海/ラ・セーヌ造船所に発注。
1888年 2月17日、起工。
1890年 1月22日、進水。
1892年 4月 5日、竣工。
  同 年 7月23日、ツーロン出港。
  同 年10月19日、佐世保到着。
  同 年12月 1日、常備艦隊旗艦を継承。

1894年(明治27年)5月、日清戦争に従軍。
1895年(明治28年)7月29日、連合艦隊旗艦。9月15日、黄海海戦に参加中、「鎮遠」または「定遠」の発射した305mm砲弾を受けて乗員の1/3に当たる90名以上が死傷。

1896年(明治29年)12月31日、常備艦隊旗艦を橋立より継承。

1897年(明治30年)10月29日、愛媛県長浜沖で訓練中、荒天により錨鎖が切断された装甲艦扶桑が艦首衝角に衝突し沈没。

1898年(明治31年)3月21日、二等巡洋艦。

1904~5年(明治37~38年)、日露戦争に第3艦隊第5戦隊(橋立、松島、厳島、鎮遠)所属として従軍中、明治38年、日本海海戦に第5戦隊所属として参加。

1906年(明治39年)、練習艦。

1907年(明治40年)4月30日、台湾、澎湖諸島馬公停泊中に火薬庫の爆発事故により沈没。7月30日、除籍。

いやぁぁ・・・三景艦は名前もスタイルも全て優雅で良い船ですよねぇぇぇ♪


今日も割と真面目に、あっちこちの文献やHPから文章パクッテ製作いたしましたΨ(`▽´)Ψ どうでせう??

個人的には、日清戦争の軍艦から差し出された公用軍事郵便と言うのに魅かれた逸品です。このカヴァーは、まだまだ今でもひよっこですが、そんな私がもっとヨチヨチの頃に大先輩の大軍事郵便コレクター様に、お譲り頂いた思いで深い逸品となっています。本当に有難うございましたと感謝の気持ちで今日は筆をおこうと思いますm(_)m

明日も少し真面目路線で、悲劇の駆逐艦「深雪」をご紹介しようと思います。

工作艦 明石

ふふふふふ・・・ついに出して来てしまいましたよ・・・秘蔵っ子を♪ご紹介しましょうΨ(`▽´)Ψ

私のお気に入り艦艇シリーズ!!工作艦「明石」からの軍事郵便です。

昭和9年、補充(②)計画第1工作艦として11年10月22日、特務艦明石と命名され佐世保工廠で12年1月18日、起工。
13年 6月29日、進水。
14年 7月31日、竣工。
14年11月15日、連合艦隊付属。

16年7月、重巡洋艦足柄等とともにフランス領南部インド=シナ(現在のヴェト=ナム)進駐に参加。

17年1月2日よりパラオ、ダバオ、スターリング湾、アンボンに寄港し損傷艦の修理に従事。6月5日、ミッドウェー海戦に攻略部隊の一部として参加後トラックで重巡洋艦最上等の修理に従事。11月23日、ソロモン方面で損傷した艦船の修理に従事。10月4日、雷撃により損傷した空母大鷹を修理。

19年2月17~18日、アメリカ第38任務部隊によるトラック空襲に遭遇し爆撃により損傷後パラオに回航。3月30日アメリカ第58任務部隊によるパラオ空襲に遭遇し西水道付近で爆撃を受けて沈没。5月10日、除籍。

昭和29年、解体。

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日本が初めから設計、建造した唯一の工作艦です。
乗組員は、乗員336+工員433=769名でした。

この艦は、1万500tの船体内に各種工作機械114台(材料等を含む工作関係重量1155t) 23t型クレーン×1(重量物用、中央部) 10t型クレーン×2(前後檣部) 5tクレーン×2(前檣両側)を搭載し、クレーンは全て電動式で、第1、第2機械、第1、第2仕上組立、焼入、鋳造、鍛冶冶金、鍛冶、銅、溶接、木具、兵器、電気工場、工具室、青写真室等17工場、延べ2236(工作設備面積3099)㎡を設置、工場面積を多くとる目的で水平甲板型船型を採用、連合艦隊の平時年間修理量35万工数の約40%を担当する予定で建造された艦です。

この艦はアメリカのメデューサ級工作艦を参考にして設計され、同型艦が計5艦計画されましたが、2番艦に「三原」3番艦に「桃取」と銘銘されるも結局竣工したのは当艦のみで、同型艦は有りませんでした。


やっぱ・・・特務・特設は良いですねぇぇ・・・・♪
しかし・・・この「明石」・・・18年中はろくな働きしていないんですよねぇぇ・・・蛇足でしたΨ(`▽´)Ψ

SALVED FROM THE SEA

昨日、「祝!半年も良く持ちましたΨ(`▽´)Ψ 」記念でお休みしましたので、今日は少し真面目に、やろうと思います♪

郵便物の中には不幸にして事故(海難、列車、火災など・・)あった郵便物が有り、その原因が戦争と言うものも少なからず存在しています。
今日は、その戦争関係で逓送途中に海難事故にあったカヴァーをご紹介しましょう。

昭和14年9月1日、ドイツ軍はポーランドへと侵攻(「白の場合」作戦)を開始しました。同、2日、イギリスはこれを「ドイツの暴挙」と非難、最後通牒を発しましたがドイツはこれを無視しました。3日、イギリス・フランスはドイツへ宣戦を布告、ここに第2次世界大戦が勃発しました。
日本は9月4日、中立を宣言、アメリカも同日、中立を宣言しました。

開戦により、ドイツによりイギリスの海上封鎖が行われ、今日ご紹介するカヴァーも逓送途中の船がドイツ軍の機雷により沈没した例です。

イギリス宛海難カバー
「SALVED FROM THE SEA」印

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神戸、15年5月8日差出

日本郵船北米シアトル航路の「平安丸」にて横浜を出港、米国シアトルに揚陸後、鉄道にてカナダのバンクーバーへと運ばれ、モントリオールでイギリスの郵船「エロス」に搭載されました。「エロス」はイギリスのリバプールに向けて出港しましたが、6月7日入港直前に触雷、沈没しました。
この船は、陸地近くの触雷だったため、沈没地の水深が比較的浅く、搭載品の殆どが回収された幸運な例で、その存在数も比較的多く確認されており、当会ではこの他に、「鎮海」や「横浜」などの差出例(「釜山」や「門司」などの差出も確認されています。)を所蔵しています・・・が、如何せん、海難事故と言う性質上、切手が脱落しているカヴァーが多いのが残念です。
因みに、この頃3ヶ月間の連合国船舶の損失トン数は、約97万2千トンでした。

※「SALVED FROM THE SEA」印
この印には多数のタイプが存在していますが、上記のカヴァーに押された印は、この海難事故以外にもう一例他の海難事故に使用されたと言う記録が残っています。

・・・どうでしょう??今日は・・・割と真面目だったでしょうΨ(`▽´)Ψ ←明日からはまた・・・。

祝・ブログ開設半年!!

うぉぉぉぉぉ!!!

このズボラの私がなんと!!ブログを半年も一回も休まずに続ける事が出来ました!!

すごい!!

っと、言う事で恒例の・・・・・














今日は休みますΨ(`▽´)Ψ

んでは、明日からもよろしくお願いいたします。m(_)m

イ19イ16

今日も昨日に引き続き海軍区別符の乗った海軍特別軍事航空葉書を使用した軍事郵便をご紹介しましょう♪

「SaI12型」

20070312231601.jpg

この軍事郵便のアドレスは、佐世保局気付イ19イ16で、昭南島(シンガポール)の第10通信隊の事です。

まっ結構見かける使用例です♪
今日はこれだけΨ(`▽´)Ψ

イ178

今日は、海軍の部隊区別符のみ、有る軍事郵便をご紹介しましょう。

「KI2型」

20070312232235.jpg

この軍事郵便のアドレスは、所在地区別符を飛ばして、直接部隊区別符が使用された例で、佐世保局気付イ178とは、潜水母艦の迅鯨型の「長鯨」を表しています。
潜水母艦「長鯨」に部隊区別符が付いたのは、昭和19年12月3日で、それまで、艦固有の名前を使用していたのを軍艦籍に有る艦のみに部隊区別符を割り当てたものです。それは、おりしもレイテ海戦での大敗北後の現存艦艇(亡失艦艇)秘匿の為に割り振られた番号だと考えられています。・・・・如何せん・・・沈んで亡失した艦艇にまで区別符が付けられているのですから・・・Ψ(`▽´)Ψ (イ172<赤城>とか、ウ552<武蔵>とか、テ99<秋津州>とか、セ200<能代>とか・・。)
因みに、軍艦籍以外の艦艇はこれまでどうりのアドレス表記で直接艦銘を名乗っています。

潜水母艦「長鯨」については、また、別の機会に詳しく解説させて頂きますね。

赴任挨拶

今日は、歩兵連隊長の移動、着任挨拶状の軍事郵便をご紹介しましょう。

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南方派遣軍隷下、第48師団の歩兵第47連隊(海、第8944部隊)より中支那派遣軍隷下、第6師団の歩兵第45連隊(明、第9020部隊)の連隊長として移動になり、その移動挨拶を印刷した葉書の軍事郵便を使用して送ったものです。
結構、有りそうで無いものだと個人的には思うのですが如何でしょう?


因みにこの第48師団「海」も第6師団「明」もまだ確か、師団シリーズでは紹介して無い師団だった様な・・・・Ψ(`▽´)Ψ
師団独自のご紹介は、また次の機会にさせて頂きますね♪

第40師団

今日は師団シリーズの軍事郵便です。

今日のご紹介師団は第40師団です。

第40師団は、編成が昭和14年で、編成地は善通寺、補充担任も善通寺の師団で、部隊通称号は「鯨」でした。この師団は、中国戦線の治安維持のため新設されて直ぐに華中方面に展開していた第11軍の指揮下に入りました。その後も中国に留まり、18年の師団改編で砲兵力を欠いだ丙師団に改編されました。その後、師団は湘桂作戦に参加する為華南に進出、その後、20年6月に南京方面に転進途中で終戦を迎えました。終戦時の上級部隊は支那派遣軍で、終戦時の所在地は南昌(華中)でした。

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この軍事郵便のアドレスは、中支派遣、鯨第6882部隊で、第40師団歩兵第234連隊です。

セ52セ65

今日は、海軍区別符のある海軍特別航空軍事葉書を使用した軍事郵便をご紹介しましょう♪

「KS12型」

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この軍事郵便のアドレスは、呉局気付セ52セ65で、ケイ諸島に主力展開した第7警備隊のアル諸島派遣隊で、所在地区別符の「セ52」はアル諸島を表しています。この部隊はこの他にタンニバル諸島などにも派遣隊を派遣しています。
このアドレスが使用されたのは、昭和18年9月29日より19年11月18日までで、この後は、アンボンに部隊が移動したのでアンボン気付(セ40)となりました。
因みにこのケイ諸島とは、ニューギニアとチモール島との間、アラフラ海にある小さな島々で、終戦時、陸軍の第5師団司令部(広島・鯉)も駐留していた地域です。

Ψ(`▽´)Ψ 実はこの「セ52」というアドレス・・・・もうかれこれ何年も前に当会では入手していたのですが、運が悪く、購入後の輸送時の事故により一点紛失していたのです。
その後、何故か入手の機会が無く・・・この度、やっとの思いで再入手出来たのでした・・・・あぁぁ・・・長い長い道のりでした・・・。
先ほど(今日)、知り合いの古物商から届いたので、少しノスタルジックな気分に浸りながらこの軍事郵便をUPしてみました♪
あぁぁ・・・・今日は、幸せな気分でこのブログを更新する事が出来ましたΨ(`▽´)Ψ

光機関

昨日、やった「岩畔機関」の時に、話に出した「光機関」からの軍事郵便をご紹介しましょう。

20070310095117.jpg

アドレスがビルマ派遣となっています。
この機関からの軍事郵便は昨日の「岩畔機関」と合わせて、比較的よく見かけるので、割と大所帯で、良く軍事郵便を利用していたのでしょう♪

おまけ

20070310095946.jpg

昨日の記事に出て来たチャンドラ・ボースの樹立した自由インド仮政府の為にドイツで印刷した切手の一部(不発行)です。
(左の切手の目打ちが無いですが、これはスキャン失敗で実際には目打ちは存在します。因みにこの切手には四辺無目打ちのものも存在しています。)

Ψ(`▽´)Ψ 昨日の記事を利用してまたまたズボラやっちゃいましたΨ(`▽´)Ψ

岩畔機関

今日は大戦中、東南アジアで活躍した「岩畔機関」からの軍事郵便をご紹介しましょう。

岩畔機関
対米開戦前において、日本の陸軍部は同時に対英開戦が避けられないことを想定し、当時イギリスの植民地であった英領インドの対英独立工作を画策し始めました。タイ王国公使館附武官田村浩大佐の下に設置された特務機関でした。この機関は参謀本部の藤原岩市少佐以下10名程から構成されて、機関長藤原の頭文字と自由を意味する英語をかけてF機関と命名されました。この機関は、インド独立連盟と協力し工作活動に当り、インド国民軍の編制に当りました。
同機関は岩畔豪雄陸軍大佐を機関長とする岩畔機関に発展改組され、250人規模の組織に改編されました。マレー作戦等で投降したインド兵を教育しインド国民軍に組み入れ、同国民軍の指導、宣伝などを行いました。この機関は6班で構成され、総務班・情報班・特務班・軍事班・宣伝班・政治班がありました。
機関はやがて500名を超える大組織となり、光機関と改称され、この機関は昭和18年、ドイツに亡命していたインド独立運動の大物スバス・チャンドラ・ボースを迎え、ボ-スと親交の深い山本敏大佐が機関長となりました。
後にこの光機関は「南方軍遊撃隊司令部」と改称し同時に、前述の各班の外参謀部・副官部・マライ支部・タイ支部・サイゴン出張所が設けられました。機関自体は終戦まで軍事顧問団として活動しました。

20070310094221.jpg

岩畔機関差出の軍事郵便です。

あっ因みに今日の「岩畔機関」の説明文はとある有名ウエイブ上の辞典からぱくって抜粋したものですΨ(`▽´)Ψ
・・・・あそこの辞典・・・結構「マユツバ」系のネタも多いんですが、このネタはまぁぁ・・・大丈夫と信じて・・信じて・・・信・・まぁ・・他の人の記事パクリはいつも事やし・・・まっいっかΨ(`▽´)Ψ

第35師団

今日は師団シリーズをやりましょう♪
第35師団の軍事郵便をご紹介します。

第35師団は、昭和14年2月7日に編成された師団で、編成地は旭川、補充担当は東京でした。師団の通称号は「東」で、中国の北支那派遣軍の直轄部隊として黄河北岸の河南省新郷付近に展開、治安維持に努めていた師団です。
昭和18年、中国に駐屯する部隊の改編があり、この時に第35師団も乙師団より丙師団に編成替えされました。
19年2月に南方への転戦が決定、第31軍隷下になりマリアナに転戦予定であったが、急遽第2軍に編入されてハルマヘラ島へと送られましたが、その後、大本営の決定で北部ニューギニアへ投入され本体がソロンへ、第219連隊はヌンホル島、第221連隊はマノクワリへと進出しました。米軍は、19年5月にビアク島に上陸を開始、その後、師団はあちらこちらで被害を出し、7月2日にはニンホル島に上陸され第219連隊は全滅、同、31日にはサンサポールに上陸が開始され、師団は、米豪軍との戦闘に参加しましたが、20年5月にソロンに撤収して、米豪軍の侵攻に備えての準備中に終戦を迎えました。終戦時の上級部隊は第2軍でした。

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この軍事郵便のアドレスは、北支派遣、東2920部隊で、第35師団歩兵第220連隊です。
師団が、まだ中国に展開中の乙師団の時代で16年末~18年頭までの使用例です。(文面から多分・・・17年の年末か18年の初頭だと思うのですが・・・・。)

軽巡洋艦 長良

今日は、昨日に続いて海軍の軍事郵便をご紹介しましょう♪
軽巡洋艦の「長良」です。もちろん名前の由来は他の軽巡洋艦と同じく河川銘からの拝命で、長良川から名づけられたものです。

軽巡洋艦の「長良」
大正7年計画第6号中型(二等)巡洋艦として佐世保工廠に発注。
   9年 7月17日、軍艦長良と命名。
  10年 9月 9日、起工。
  11年 4月25日、進水。
  12年 4月21日、竣工。
昭和16年12月 8日、開戦時、重巡洋艦足柄等と第3艦隊第16戦隊所属。12日、レガスピーでアメリカ戦闘機の機銃掃射により1名が死亡。
  17年 1月 6日、フィリピン、ミンダナオ島南部ダヴァオで足柄等と合流。25日ケンダリーで駆逐艦初春と衝突し2名が負傷。2月6日セレベス島攻略戦に旗艦として参加。4月1日、クリスマス島攻略戦。10日、第1航空艦隊第10戦隊に編入。13日、第10戦隊旗艦。6月6日、ミッドウェー海戦時にアメリカ空母搭載機の爆撃により大破した空母赤城より第1航空艦隊司令部が移乗。14日、第10戦隊は第3艦隊に編入。10月26日、南太平洋海戦。11月12~5日、第3次ソロモン海戦に参加しアメリカ駆逐艦(DD379)プレストンを撃沈。20日、第4水雷戦隊に編入。12月2日。第10戦隊(木村進少将)旗艦を軽巡洋艦阿賀野に継承。
  18年1月20日、舞鶴出港後徳山経由でトラックへ航行中24日マリアナ諸島アナタハン島沖で爆発事故により損傷。7月15日、ニュー・アイルランド島カヴィエン港内で特設監視艇宇久井丸、大発3隻を横付けして補給物件を移送中、右舷後部で磁気機雷と思われるものが爆発し小破。20日、第2水雷戦隊に編入。8月1日、戦艦武蔵等からなる連合艦隊主力と合流。11月1日、第4艦隊旗艦を練習巡洋艦鹿島から継承。12月5日、クェゼリン港外でアメリカ空母(CV10)レキシントン搭載機の攻撃を受けて損傷し48名が死亡、115名が負傷。
  19年5月15日、第11水雷戦隊に編入。8月5日、沖縄本島からの疎開者を乗せ那覇出港後鹿児島より佐世保回航中、7日、熊本県杵島天草島牛深西方でアメリカ潜水艦(SS246)クローカーの発射した魚雷2本を受けて沈没。乗員348名死亡、40名が負傷。10月10日除籍。

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っとまぁぁ・・・太平洋を走りまわった軽巡洋艦です。
この軽巡、私の記憶ではレイテで沈んだと思っていましたら、なんと全然違う場所で亡失していたのですね・・・汗。思い込みは怖いです。今回きちんと調べておいて良かったです♪
もう一つ、今回、再認識したのが、この「長良」・・・長良級の一番艦だったのですね・・・汗(当たり前か・・・)。

今日は、私の無恥が暴露された日記でしたΨ(`▽´)Ψ

テ21テ39

今日は海軍区別符のアドレスが付いた海軍特別航空軍事葉書をご紹介しましょう♪

「CoT12型」

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この軍事郵便のアドレスは、台北局気付テ21テ39でマニラに展開していた第31航空隊です。このアドレスの使用期間は、昭和19年の4月11日から10月3日まででした。

第31航空隊は第3南遣艦隊が独自に運営した初歩練部隊(昭和19年3月1日開隊)で、後半は実機を失い陸戦隊化してフィリピンの防衛戦に参加した部隊です。

大坂のオークション後、風邪が悪化して今日は一日中ダウン・・・咳が辛い・・辛い・・・血を吐きました!!う~ん・・今こそ解るサナトリューム文学の世界!!人にうつすと早く治るって誰かさんが言ってたので明日はがんばってお出かけしませうΨ(`▽´)Ψ

第152師団

大坂のオークション、終わりました♪結果は・・・・まぁぁ・・・・。
っと言う事で気を取り直して今日からまた、通常バージョンです。

今日、ご紹介するのは師団シリーズの本土決戦部隊の第152師団です。
この師団も、20年に入って編成された本土決戦の師団で、編成は2月28日、編成場所は金沢、終戦時は千葉の銚子に展開して最終の上級部隊は第52軍でした。

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差出は万歳、昭和20年6月9日差出の葉書です。アドレスは「護澤」第22605部隊で、歩兵440連隊を示しています。

またいつもの、通常バージョン、自称「簡易版」でやってみましたΨ(`▽´)Ψ あっ因みに、この「護澤」は今回のオークションでの私の獲物でした♪

明日からはどんなネタをしましょうか・・・??
戦利品特集っても、今回、ろくなエンタが手に入らなかったし・・・。
さてさて・・・Ψ(`▽´)Ψ

米軍の伝単

ズボラ画像UPのみ第四夜です。

今日は、米軍の伝単に切手を貼って消印を押した米軍の記念品をご紹介しましょう。

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まぁぁ・・・観ての通りのものです。
個人的には余り気の良いものではありません。

明日からは通常モードに戻る・・・予定・・・です。
もしかすると、大坂のオークションの戦利品の特集を組むかもしれませんが・・・如何せんいつもの磯の事ですから予定は未定ですΨ(`▽´)Ψ

日満小包票

ズボラ画像UPのみ第三夜です。

今日は、日満小包票の野戦郵便局からの使用例のご紹介です。

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第7野戦郵便局、昭和13年12月3日引き受けで、65銭分の切手が貼ってあります。

面白いパターンですね♪・・・・いったい何を送ったのでしょう??

サイパン宛の民間便

ズボラ画像UPのみ第二夜です。

今日は、サイパン島に戦前(太平洋戦争)前に送られた郵便物に、サイパン戦後に米軍によって摂取され、摂取印が押されたものをご紹介しましょう。

20070227010244.jpg

目黒から昭和16年4月4日に差し出された郵便物です。
はたして、この宛先人の方はどうなさったのでしょうか??
出所は、この郵便物もアメリカからなので、おそらくは・・・・・。

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プロフィール

324-磯風

Author:324-磯風
1972年生まれ 男
軍事郵便保存会・関西事務局員
趣味と酒、食、女、宇宙戦艦ヤマト、インドア生活(休日)をこよなく愛す
趣味・秘密
本業・割と堅い職業
ニックネーム?・黒い服着た悪魔
トレードマーク・Ψ(`▽´)Ψ
PC系・電気系(家電も含む)が完全に駄目な私ですが、何時まで続ける事が出来るのやら・・よろしくお願いいたします。

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