2006-11

南の島に雪が降る-第36師団

今日は、師団シリーズです。
取り上げる師団は、今日の題名で有名な第36師団です。

この師団が編成されたのは昭和14年、編成地は弘前、補充区も弘前の東北青森の師団でした。通称号も東北の師団らしく「雪」が与えられています。

この師団は、中国の最前線に居る第一戦級の師団と交代し、占領地の治安維持や警備にあたる師団として編成されました。この第一戦級の装備を持った師団を「甲師団」と言い、第36師団の様な師団を「乙師団」と言いました。山西省に展開していた第108師団と交代して昭和18年までこの地域の治安維持に努めました。

18年に入ると、対ソ戦への準備へと移行いていましたが、太平洋の戦局悪化に伴い急遽南方戦線に投入される事になりました。
上海から蘭印のハルマヘラを経由して西部ニューギニアのサルミに師団主隊上陸、内、歩兵第222連隊を主軸にビアク支隊が編成されていたが19年5月27日の米軍上陸ご約40日の抵抗後に全滅しています。本体もサルミに上陸して来た米軍と交戦、その後に対峙しながら終戦を迎えました。
終戦時の上級部隊は第2軍でした。
(一部の兵站部隊と航空部隊は400km離れたホーランジアで壊滅しています。)

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この軍事郵便は内地から戦地宛てた軍事郵便です。
アドレスは、北支派遣軍 雪3527部隊宛てです。
この部隊は盛岡で編成された工兵第36連隊で、やはり後にサルミに送られ激戦を繰り広げた部隊です。

この雪の師団は、後に演劇や映画、小説で有名になる「南の島に雪が降る」の舞台になった師団です。物語の内容は此処では割愛しますが、いちど皆さんも読んでみて下さい。涙無しでは語られない物語です。
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昨日の今日

臨時郵便取締法シリーズその3です。
たまには、昨日の約束を今日果たしましょう♪
(実は用意していたネタが一つ余ったなんて事務的な内輪事情は内緒ですΨ(`▽´)Ψ )

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この葉書は、昭和18年12月1日に南ボルネオの海軍担当地区、バンジェルマシンに宛てた葉書です。(それだけでもすごいです!)
葉書には付箋で、「宛名ハ漢字(片仮名ノ振仮名付)片仮名又ハローマ字ニテ記載ノ事」と注意書きされて返送されています。

この差出人「岡本金三郎」氏は、有名な収集家「大川如水」氏の事で、これもフィラテリックな例です・・・・が!当時に作って頂いて無かったら本当に無い使用例です。

臨時郵便取締例・・・その2

昨日、臨時郵便取締例の国内郵便をご紹介しましたので、今日は外国郵便に対する検閲の違反例をご紹介しましょう♪

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これは、満州国に宛てた書留郵便物です。
このパターンは為替管理法違反の付箋のが付けられ返送されたパターンです。
付箋には薄いですか神戸局の外郵印が押されています。

この郵便物自体は、当時の収集家のフィラテリックカバー(収集家便)ですが、フィラテリックカバーだからこそ現存している良い例でしょう。

この「臨取」のパターンもシリーズ化しましょうΨ(`▽´)Ψ

臨時郵便取締令

昭和16年に入り、日米の戦争回避の交渉が難航するに伴い、10月4日、臨時郵便取締令(緊急勅令891号)が交付されました。
これにより、一般郵便物に対する組織的な内外に対する郵便検閲が開始され、情報規制が強化されました。

今日、ご紹介するのは国内での取り締まり例です。

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開戦後の18年2月2日の例で、「軍機ニ関スル通信文アリテ防諜上支障アルニ付及辺戻ス」の付箋が付いています。
これは、18年2月頃、大阪(阪神地区)で集中的に行われた検閲の例で、本来なら逓信省の封緘紙が使用されるのですが、余りに大量の検閲をしたので、ザラ半紙を封緘紙代わりに使用して割り印も普通の局の日付印が使われています。

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このタイプの検閲は現在、東大阪、住吉、高槻、須磨などその他数局で確認されています。

「軍機ニ」のタイプの付箋は、ものがものだけに、この臨取関係の検閲理由の中では極端に少ない使用例です。

おまけ
葉書の例もご紹介しておきましょう。

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表面に「逓信省/第七十三/検閲済」印が押されています。
因みに文面の内容が直ぐ観て取れる葉書の有る検閲印は、ある種のキャンペーンとして見て取れます。

恥ずかしながら・・・・

帰って参りました・・・ジャパンスタンプのオークションより・・・。
2泊3日大阪滞在の旅・・・。
めっちゃ疲れましたわw
今回も色々な方にお会い出来て、しかもお世話に成り本当に有難うございました。

私、自身のオークションの成績は・・・・まっ・・・遠い目・・。

収穫品はいずれまた、機会が有ればご紹介しますね。
今回は、こちらの世界の先輩方に本当にお世話に成り、しかも貴重で上質な品物も分けて頂き・・・とても充実したオークションでした。

とりあえず、近況のご報告でしたΨ(`▽´)Ψ

今日は疲れたのでもう・・・寝ますΨ(`▽´)Ψ

記事のUPは自動の作り置きになってます♪・・ここ数日・・・。

???-米軍の記念品

今日は少し異質なマテリアルをご紹介しましょう。
百聞は一見にナントカです・・・↓

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これは、米軍のフィールド・ポスト(軍事郵便)なのですが、この軍事郵便は少し・・・否!ダイブ「変?」なのです。

先ず、米軍の軍事郵便に見られる検閲印が有りますので軍事郵便でしょう、宛先はイギリスです。
次に、お遊びでしょう・・・逓信省の戦前型の封緘紙が貼られ、「緘」の印で封筒にタイしています。
此処からが問題です!
この封緘紙の左に在る判子・・「第三八一野戦」とは、アッツ島(熱田島)に割り振られた野戦郵便局の印なのです・・・しかもその上に在る日付と思しき数字・・「18.5.25」、そうアッツ島が玉砕したのは昭和18年5月30日・・・。
そこで問題がまた一つ、その下に在る「速達」「米国行」の印です・・・。流石に戦時中の野戦郵便局が米国行や速達の印を持って居なかったと思うのですが・・・・。
そして、この全ての印を押したインクはどうも最初の米軍の検閲印と同じインクなのです。

このタイプ(まったく同じ)米軍軍事郵便は現在、数例確認していますので、米軍の部隊などはまだ調べてませんが多分、フィラテリック(郵趣的な)な作り物だと考えられます。
が、詳細は不明です。どなたか、詳しい方がおられれば、ご一報頂ければ幸いです。

私的には余り気分の良いマテリアルではありません。
(とりあえず、今日のマテリアルのカテゴリーは押収品にいておきます。)

罹災戻し-福岡編

今日は、空襲に寄る宛先人不明郵便をご紹介しましょう。

以前、ちょいと触れて、ここのブログでも取り上げました広島の「罹災戻し」印の在るエンタイヤもこの一族です。

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この葉書は、20年6月19日、マリアナ基地を出発したB29爆撃機221機が、有明海から背振山地を越えて福岡市内を空襲した地域に戦後宛てられた、料金別納葉書(戦時特例の料金予納葉書に似ていますがちがいます。)です。
葉書の表には、鉛筆書きで「戦災不明/差出人モドシ」と書かれた付箋が付いています。

この6月19日の福岡空襲では、死者902人、行方不明244人、負傷者1078人の犠牲を出ています。

日本各地の空襲でお亡くなりになられた方に対して追悼の念を駆りたたされる一品です。合掌。

因みに、この葉書の差出地、下谷(東京)も20年3月10日の東京大空襲で、一面焼け野原になった地域です。

日本の空襲に付いては、現在、シリーズ化を考えております。

戦俘私事(武装解除郵便)

今日は、第40師団について書こうと思って収集品をゴソゴソしていますと、第40師団所属の歩兵236連隊が戦後、武装解除後に出した無料郵便物が有りましたのでご紹介しましょう。

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本来、戦時中の軍事郵便なら、中支派遣、鯨 第6884部隊と記入しなければならないアドレスが、本来の牽制部隊名のまま表示されています。
武装解除後の郵便は、中国側の好意による無料郵便で、日本軍側の従来の検閲(現地)に加え、中国側の検閲、そして日本に到着後、米軍検閲が行われています。

この第40師団は、昭和14年に編成された師団で編成地は四国の善通寺で補充区も善通寺でした。この師団は、華中の治安維持を目的とした師団で、元々は第11軍が上級部隊でしたが、終戦時は支那派遣軍が上級部隊で、華南に進出後、内地に配置換えの為転進中、華中の南昌で終戦を迎えました。
因みに、この第236連隊は高知の連隊で「南国土佐をあとにして」の歌が生まれた部隊だそうです。

戦病者葉書

今日は、戦病者葉書を取り上げてみました。

この葉書は戦地で負傷したり病気になって内地の病院に転院した将兵の為に、発行された葉書で、入院患者一人に付、月2枚の割で支給されたものです。
この葉書が少し異例なのは、無料で配られた葉書なのに「2銭」と印面に額面が入って居る事です。戦地の野戦病院ならば、無料郵便(軍事郵便)が利用出来ますが、内地の軍病院では戦地では無いので軍事郵便は取り扱われません、そこで考えられたのがこの額面印面の有る「戦病者葉書」だったのです。
この葉書は、額面印面の在るおかげで、使用者は本当の戦病者以外に、その親族などの民間人も使用出来、病院退院後に普通に使用したものなど、本来の使用例以外に多彩な使用例が存在しています。
(退院後に戦地にまた行って、軍事郵便の台葉書として使用した例も確認されています。)

製造面のバラエティーもこの当時の「2銭楠公葉書」と同じ用紙が採用され、前期には上質クリーム紙が使われ後期には租白紙に変わりました。印面の種類は一種のみで、後期の料金改定後はその都度切手を過貼して使用されましたが、その使用例は少ないものとなっています。

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この葉書は、初期の上質クリーム紙使用の戦病者葉書です。
データーは、下田、14年10月4日、湊海軍病院差出です。

第104師団

今日は、師団シリーズで、南支に展開した第104師団の軍事郵便を紹介しましょう。

第104師団は第23軍(広東)隷下の師団で南支に展開していました、編成地は大阪で補充区も大阪でした。
この師団は、バイヤス湾の敵前上陸作戦や広東攻略作戦に投入されて、その周辺の警備や討伐に従事しました。
終戦時の最終展開地は海豊でした。

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この軍事郵便のアドレスは、南支派遣 鳳第8964部隊で、第104師団隷下の歩兵第108連隊を表します。
(三角片付陸軍特別軍事航空葉書使用)
(この↑葉書は南支派遣独特の様式の特別軍事航空葉書です。)

巡洋戦艦

今日は、巡洋戦艦、軍艦「金剛」からの軍事郵便をご紹介しましょう♪

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この軍事郵便は太平洋戦争中のものです。

1909計画伊号装甲巡洋艦、部内限で軍艦金剛と命名されイギリス、ヴィッカース/バロー・イン・ファーネス造船所で1911年1月17日起工、12年5月進水、13年4月20日ベルファストに回航され公試に従事、竣工と同時に特別予備艦となりバロー・イン・ファーネス出港。
同年11月横須賀に到着し横須賀鎮守府第1予備艦姉妹艦比叡とともに巡洋戦艦鞍馬等からなる第1艦隊第1戦隊に編入、その後第1艦隊第1戦隊に編入、第一次大戦に従事、1924年皇太子乗艦として使用されました。
太平洋戦争勃発時(以下昭和表示)には南方作戦に従事、17年2月機動部隊に編入ミッドウェー作戦に参加、後アリューシャン攻略作戦を支援、ガダルカナル島飛行場を砲撃炎上させ、19年10月のレイテ沖海戦に参加、11月16日大和等とブルネイ出港後内地に回航中21日未明、基隆の北方で駆逐艦浦風とともにアメリカ潜水艦(SS315)シーライオンの発射した魚雷4本を受けて沈没し第3戦隊司令官鈴木義尾中将、島崎艦長を含む約1300名が死亡、20年1月20除籍。
日本海軍が外国で建造した最後の主力艦で潜水艦の雷撃を受けて沈没した唯一の日本戦艦でした。

この艦はもっともっと戦歴の有る船なので、その時々の手紙を使用してこれからもちょくちょく紹介していきたいですね♪
結構優雅な姿がさすが舶来・・・英国製を感じさせる良艦でして・・・個人的にも好きな戦艦ベスト1なんですよ♪この艦・・・。

第32師団

今日は師団軍事郵便シリーズに戻りまして、第32師団でいきましょう♪
第32師団と言えば、終戦時ハルマヘラ(蘭印)島で終戦を迎えた師団として有名?ですが、大戦中の殆どは、中国大陸で過ごした師団なのです。

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この軍事郵便のデータは、北支派遣軍 楓4251部隊で、第32師団の師団司令部です。

この部隊は、昭和14年に東京で編成され、補充区も東京で編成後は華北の山西省で警備に従事、19年4月に第14軍に編入、フィリピン南部に展開予定が、急遽第2軍に編入されてフィリピンの南方のハリマヘラ島に派遣されました。
この部隊も、移動中に輸送船が撃沈され多数の水没者を出しています。

今日の軍事郵便のアドレス(部隊通称号楓を使用)は、昭和16年以降19年4月までのものです。

封書表面の「封書差出許可」印は、大戦勃発後の陸軍の軍事郵便に現れる印で、陸軍では封書の軍事郵便は量(カサ)が増えるので差し出す前に上官の許可が要る様になっていました。
(海軍では特に規定が無かったみたいです。)

尚武集団

今日ご紹介する軍事郵便は、20年1月6日にマッカーサーがリンガエンに上陸して来た時、フィリピンでの兵力不足で日本軍が軍を3つの集団に分け、向えうった集団の一つの「尚武」から差し出されたものです。

この時、日本軍が作った3つの集団は、尚武(北部山岳)建武(クラーク空軍基地周辺)振武(マニラ東方山岳)でした。

この集団は、物量の米軍に対して各種の抵抗を続け終戦まで米軍をフィリピンに釘付けしました。

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この軍事郵便のアドレスは、比島派遣 威5103部隊で、「尚武集団」隷下の電信第二連隊差出のものです。
(三角返信片付き陸軍特別航空軍事葉書を使用しています。)
(この集団の部隊通称号は「尚武」または「威」で表されました。)

この軍事郵便の文面を読むと正月の事が書かれており、米軍上陸直前に書かれた軍事郵便だと言う事が判ります。この後、米軍に摂取されたものなのでしょう、日本の降伏調印の日の記念印(米軍の軍事郵便局印)が押されています。1945,9,2・・・おそらくこれは、米軍が正規に摂取したものではなく、米兵の戦利品感覚で摂取(剥ぎ取った)さしたものだったのでしょう・・・・・。
こういう軍事郵便を観ると・・・本当にいたたまれない気持ちにさせられます。

このフィリピンの戦いでは、46万6千人の将兵の内、37万7500人が戦病死され、先日のレイテ島など、フィリピン全土の戦没者は51万6000人にものぼりました。

多数に英霊に対し・・・ご冥福を祈らずには居られません・・・合掌。

創成期

今日は、毛色を変えて明治の軍隊創成期の頃の軍事関連の手紙をばご紹介しませう。

先ずは陸軍さんから♪

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陸軍省の参謀局の測量班に宛てた市内用の葉書です。
データーは、脇無し半銭葉書「チ」、東京 明治7年10月15日の抹消印と証示印が有り、裏面に湯島の局所印があります。
(実を言うと・・開いてスキャンするの忘れて・・・やり直すのも面倒だったんで、そのままUPしちゃいましたΨ(`▽´)Ψ )
内容は、まぁ・・請求書みたいなもんですw

次に海軍さん

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こちらは、今の兵庫県姫路の飾磨県から東京の史官に送った布告と職員録の受領書です。
データーは、脇無し1銭葉書「オ」、イヘ第壱号(記番印)抹消、姫路8年4月15日証示、東京8年4月18日到着印が有ります。
一見、軍隊と関係なさそうな葉書ですが・・・・実は、この受領した職員録がネックでして・・・海軍の職員録もこの中に含まれていたのです♪

たまには、こんな時代の軍隊モロの郵便やこじ付けマテリアルも良いでしょうΨ(`▽´)Ψ

メンテ

今日で、このブログを始めて2ヶ月が過ぎました。
少し書いた記事が溜まって来たので過去の記事をメンテをしました。
少々、カテゴリーの変更などが有りますが概ね従来通りです。
その際に発見された誤字脱字は、面倒なんで放置してます。「愛の子」とか・・・Ψ(`▽´)Ψ
後、このブログは、私の記憶だけで書いたエセ記事も多数混入していますので、もし記事の内容で間違いを発見された場合はどしどしとご指摘頂けると幸いです。・・・ってか・・・・して下さい・・校正を・・・m(_)m
(最近の訂正は「蘭領インドシナ」→「蘭領インド」とか・・・です。何考えてこんなおバカな事書いたか未だに謎ですwんっまこっぱずかしい・・・)
これからも、色々とご指導のほど、このブログ共々よろしくお願いいたします。m(_)m

後、トップのご挨拶の所に実験記事を入れて診ました・・・これは、数日で消去するつもりですので、お見苦しいですが数日お付き合い下さい。

タカの一族

先日、商船改装空母の一族に付けられた「鷹(ヨウ)」のついて反響が有りましたので、今日は「鷹(タカ)」の一族から差し出された軍事郵便をご紹介しましょう。

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急潜網艦の初鷹(ハツタカ)から差し出された海軍特別軍事航空葉書を使用した軍事郵便です。

急潜網艦とは、防潜網を敷設するため敷設艦を急設網艦といい、正確にはこの艦種が進水した時点で敷設艦に艦種は統一されていたので、艦種としては敷設艦の一族です。

初鷹
昭和12年海軍補充(③)計画敷設艦第7号艦として播磨造船所相生工場で14年10月31日竣工と同時に呉鎮守府予備艦になり、16年4月第3艦隊に編入、10月南遣艦隊第9根拠地隊に編入、20年5月16日船団護送中、マレー半島東岸沖でアメリカ潜水艦(SS366)ホークビルの発射した魚雷を受けて沈没、8月10日除籍。

海軍の艦艇の勉強をしはじめた頃、正直初めの頃は私も混同していた艦種なんせすよね・・・実はΨ(`▽´)Ψ

第16師団

今日は、師団シリーズの軍事郵便です。

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この軍事郵便はレイテ島に展開した第16師団隷下の歩兵第20連隊(福知山)差出で、アドレスは比島派遣、渡第6555部隊となっています。
(陸軍特別軍事航空葉書を使用しています。)

第16師団は、編成地は京都、兵員補充地区も京都で、師団が編成されたのは、明治38年7月とわりと古参の師団でした。
大戦が始まると、第14軍隷下、本間中将の下でフィリピン攻略に参加、その後もずっとフィリピンに駐屯し、終戦時は、第35軍隷下、レイテ島でカンキポット山に篭って抵抗中でした。
十月二十日の米軍上陸(マッカーサー指揮)で真っ向から対峙(この時レイテ島に展開した師団はこの師団のみ)、被害は甚大、この部隊の大半を消耗してほぼ玉砕に近い全滅でした。

師団人員1万3778名中、1万3158名が戦死、最後の師団長、牧野四郎師団長も戦死しています。


南方軍直轄陸軍病院

師団シリーズの変形で師団に所属しない南方軍直轄の陸軍病院からの軍事郵便をご紹介しましょう。

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これは、南方派遣軍、南方第3陸軍病院(ジョホールバル)から差し出された陸軍特別軍事航空葉書を使用した軍事郵便です。
アドレスは、マライ派遣、岡第10306部隊で、第7方面軍(シンガポール)所属の通称号「岡」を使用していますので、割と大戦初期の軍事郵便でしょう。(この部隊の最終親通称号は「威」です。)

南方陸軍病院は最終的には第1から第17まで作られた、陸軍の固定病院で、野戦病院とはまた性格の違うものでした。

今日は、軽めでお許し下さい♪

似て非なるモノ

昨日紹介の葉書と似てませんか?コレΨ(`▽´)Ψ

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そりゃーそうでしょう、昨日ご紹介したフィリピン宛の葉書と同じ書式で書かれた海軍担当地区のマカッサルに宛てた葉書です。
料金も昨日の3銭料金の時代しかも2銭楠公葉書に1銭加貼し、しかも同じ機械印で抹消したパターンなんですから・・・Ψ(`▽´)Ψ

データーは品川、19年8月21日です・・・・。
正直・・・よく届いたもんだと感心してしまいます。
(因みにこれは、完全民間実逓便です。)

おまけ
昨日のマテリアルとおんなじ様なもんで今日はごまかしたんか!!っておしかりを受けそうなので海軍担当地区の葉書の使用例をUPしておきますね♪

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この葉書の使用例自体は割りと見かけますが、この日本宛が欲しい今日この頃です・・・ハイΨ(`▽´)Ψ

戦時中の切手商

昨日、フィリピンから日本宛を紹介しましたので今日は日本からフィリピンのマニラの切手商に切手の注文をお願いした葉書です。

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消印は麹町、19年4月24日です。

収集家便(収集家が意図的または無意識に作った使用例)は嫌われますが、こんな絵に描いた様な南方宛の葉書(ルールどうりに書かれた)はおいそれとお目にかかれません。

常々、蒐友と話しているのですが、収集家が郵趣家便を作って居てくれなければ今日、残存していないであろう使用例は沢山有り、先人の功績無ければ、今の蒐集会は無かったのでは無いだろうかと・・・。

この使用例もそんな、先人の作ってくださった貴重な例と言えないでしょうか?
因みに、フィリピンはこの後、6・7月頃より郵便物が途絶え始め、8月を超えると殆ど到着しなくなってしまいます。軍事郵便でも逓送が難しくなるこの時期の民間便は、ある意味貴重で、収集家便だからこそ現存している良い例ではないでしょうか?

ミンダナオ島 ダバオ

2日ほどフィリピンネタが続いたので、閑話休題でフィリピンから日本宛ての民間便をご紹介しましょう。

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これは、フィリピンでの日本切手使用の日本宛てで、料金は、日本国内の封書料金の5銭です。
1943(S18)8月3日差出、消印はダバオ・シティーです。
フィリピンでの日本切手の使用は珍しく、特に地方使用は貴重なのですが、如何せん消印が薄く不鮮明なのは残念です。

この使用例(フィリピンでの日本切手持込例)は、以前から欲していたのですが、なかなか縁が有りませんでしたが、先輩の収集家の方が見かねてこの手紙の所有者様をご紹介してくださり、目出度く私の所に嫁入りと相成った品物です♪
やはり、先輩収集家は偉大ですね。
私のお気に入りの手紙の内の逸品です♪

オルモック輸送

レイテ海戦の後、行われた海軍の作戦に、「オルモック輸送」という作戦が有ります。
海軍側の作戦名称は「多号作戦」。南西方面艦隊の下に、付近の艦隊を結集して、レイテのオルモック湾に強行輸送する作戦で、第九次まで実施されました。また、陸軍は独自に船舶部隊を用いて、数次の輸送作戦を実施しています。

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今日ご紹介する軍事郵便は、夕雲型駆逐艦 浜波です。
夕雲型駆逐艦は、陽炎型の改良型で、昭和16年から20年にかけて20隻建造されました。
浜波はその14番艦で、竣工は18年10月15日、第3次オルモック輸送に従事中、19年11月11日米軍の空襲により沈没、20年1月10日除籍。

第3次オルモック輸送とは・・・
大成功に終った第二次に続いて第26師団を揚陸しようとした作戦です。参加艦艇はせれべす丸、西豊丸、泰山丸、天昭丸、三笠丸の5隻を、警戒部隊である 第二水雷戦隊の駆逐艦島風(旗艦)浜波、初春、竹の4隻、護衛部隊の掃海艇第30号、駆潜艇第46号の2隻の、計6隻でした。第三次船団は11月9日にマニラを出港、10日の夜明け前にせれべす丸が座礁、駆潜艇第46号が警戒に当たり、他の艦は進撃を続けましたが、離礁できすに10日午前中に空襲で撃沈されました。
残りの船団は第四次船団の護衛艦、長波、朝霜、若月を護衛に加え、代わりに初春、竹の2艦は第四次船団に編入、マニラへ帰投しました。オルモック目前で空襲に遭遇し、輸送船を全て失い、
護衛艦も旗艦島風を始め、朝霜以外の全艦を失い、輸送船の陸軍部隊も壊滅し、輸送作戦は失敗に終った作戦でした。

今日はこの浜波亡失の日なので、取り上げてみました。

昨日も書きましたが、本気で駆逐艦シリーズも検討しましょう♪

商船改装空母の悲劇

陸軍さんが4日連荘しましたので、今日は海軍の軍事郵便をご紹介しましょう。

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今日の軍事郵便は、商船改装空母の「大鷹」です。
(「オオタカ」じゃねーぜΨ(`▽´)Ψ 「タイヨウ」だぜ♪)

この空母は、日本郵船が海軍省の助成金を使って製作した「春日丸」を建造中に徴用、徴用船籍のまま軍艦種に編入された唯一の艦艇で、その後、17年8月末にやっと、「大鷹」と改名、軍艦籍を取得しました、他に兄弟艦が2隻おり、八幡丸は雲鷹に新田丸は沖鷹に改装されました。
空母と言っても、商船改装の空母なので、速度も艤装も搭載機数も貧弱でどちらかと言えば飛行機運搬空母的な運用方法しか出来ない空母でした。

この大鷹も他の姉妹と共に連合艦隊の直轄艦としてトラックと内地の間を航空機のピストン運送に従事していました。
この後、輸送船団護衛の重要性に気づいた海軍は、米軍の護衛空母を見習い、第1海上護衛隊に編入、重要輸送船団に属する「ヒ」船団の護衛に従事する事になるのです。

19年8月18日、ルソン島西岸において、米潜水艦「ラシャー」の雷撃により沈没、同年10月1日、除籍。

「丸」シップなのに軍艦籍・・空母なのに補助空母??・・何とも、味のある空母じゃないですか・・個人的には、正規空母より好きな艦艇です。

おまけ
ついでに「春日丸」時代の葉書もUPしときましょう♪

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この葉書の日付は17年7月14日ですので、この後、一月半ほどで改名されたのでぴったりな使用例だとおもいます。

師団シリーズに続き、日本の空母シリーズなんかも作りましょうかね♪
んでんで、姉妹達(沖鷹、雲鷹)の紹介とかも検討しましょう♪
・・・駆逐艦シリーズとか、徴用船シリーズ、航空隊シリーズなんかも現在検討中です♪乞うご期待くださいΨ(`▽´)Ψ

第41師団

昨日、シリーズ化しようか検討中と書きましたので、ためしに第3弾をUPしてみましょう♪
今日、ご紹介する軍事郵便の師団は、同じ南海派遣軍所属の第41師団です。

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この軍事郵便のアドレス、南海派遣 河3570部隊は、第41師団通信隊です。

この師団は昭和14年、朝鮮の龍山で編成され、当初は中国の占領地警備(華北・山西省)の任につていた精鋭師団です。部隊兵員の補充地は、昨日の第51師団と同じ宇都宮で、最終投入地も第18軍隷下のニューギニァ戦線だったのは、何かの縁だったのでしょうか?

第20師団、51師団がラエ、サラモア、フィンシュハーフェンなどで壊滅的な打撃を受けており、第18軍隷下の部隊で無傷だったのはこの師団だけでした。そしてこの第41師団を基幹として他の2師団と共に19年7月からの総攻撃に参加しましたが、連合軍の猛反撃により作戦は失敗、兵力を半減させ、アレキサンダー山脈に後退、消耗を続けながら終戦を迎えました。

師団の戦死者は、1万4745人でした。

第51師団

今日ご紹介する軍事郵便は、第51師団の軍事郵便です。
以前の第56師団の件も有りますし、師団紹介シリーズにしてシリーズ化を現在検討中だったりもしますΨ(`▽´)Ψ

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第51師団は、編成地は宇都宮でニユーギニァで終戦を迎えました。終戦時の上級部隊は第18軍でした。

この師団は、内地の留守14師団を母体に昭和15年に編成され、当初は中国方面に展開していましたが、太平洋戦争勃発後、17年末に東部ニューギニァに投入される事が決定されラバウルに進出しました。

この師団が有名になったのは、俗に言う
ダンピールの悲劇
に見舞われた師団だからです。
師団主力を乗せた船団がラバウルを18年3月2日に出航して、翌3日フィンシュハーヘン沖を航行中、米軍の航空機に因る反復攻撃にさらされ、船団は護衛艦艇諸共全滅した悲劇の船団だったのです。

この後、この師団はほぼ丸腰で装備の殆どを失いニューギニァに上陸、ラエ、サラモアなどの戦闘に参加し、山岳地帯にこもって持久戦に入った所で終戦を迎えました。

師団の戦死者は1万5366人、内ダンピールの悲劇での海没者は3644人でした。

今日の軍事郵便のアドレスは、南海派遣 基2800部隊で、第51師団の司令部です。 

保定幹部候補生隊

今日、ご紹介する軍事郵便は、支那派遣軍、軍司令部直轄部隊の華北保定予備士官学校からの実践訓練部隊の軍事郵便です。

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差出のアドレスは、北支派遣 栄 1649部隊となっています。
保定幹部候補生隊は、本来ならば支那派遣軍直轄部隊(南京)なので、中支派遣と表現されるのですが、この部隊は華北保定の予備士官学校の生徒で構成された部隊だったので、「北支派遣」と書かれています。

この部隊で経験をつんだ、幹部候補生はその後、各地の部隊へと編入されて、日本軍の屋台骨となっていきました。

この学校は、第一期生より十三期生までの比較的歴史が新しい部類の学校でした。

逓信局事務官

今回も軍属差出の軍事郵便です。

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これは、逓信省の事務官(第三十三野戦郵便局局長)差出の軍事郵便です。

まぁぁ・・・詳しくは以前の日記「従軍僧」をご参考ください。

今日は、結構疲れが溜まっているみたいです。
・・・まぁ・・・副題付けるなら・・「お茶濁し 第四夜」ですね。

明日からは、本当に通常バージョンに戻します。

JAPEX観参記

行って来ましたJAPEX!
今回は往復飛行機の強行軍、いやぁぁ・・・時間も使ったがお金も使いました。当分、艦隊行動は無理なぐらい疲弊してしまいました・・・汗

観参記・・・つうても、多分・・・他の方のHPやブログで色々ご紹介されていると思いますので、

省略!!Ψ(`▽´)Ψ

させて、頂ます♪

う・・・ん、やっぱ、私のブログはこうで、無くては・・・Ψ(`▽´)Ψ (自画自賛♪)

お茶濁し-第三夜

今日も、昨日に続き南方占領地の蘭領インド・スマトラ地区の使用例です。

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この郵便物も第一種書状の使用例で、日本切手の持ち込み使用です。
スマトラ地区では、1セント=1銭の計算で通貨が統一されていましたので、日本切手10銭を貼って第一種書状10セントとして通用しています。

この使用例もスマトラ地区では比較的よく見かけるパターンですね^^。

さて、今日まで3日間おさぼりさせて頂きすいませんでした。明日からは又、通常体制に移行いたします。

お茶濁し-第二夜

今夜もお茶濁しですΨ(`▽´)Ψ

蘭領インド地区東海岸州の第一種書状の使用例で、今日はお隣の英領海峡植民地の切手に占領暫定加刷した切手を、この地区(スマトラ)に持ち込んで使用したものです。

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料金は昨日と同じの10セントです。

まぁぁ・・・これも結構見かける使用例ですね・・・汗。

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プロフィール

324-磯風

Author:324-磯風
1972年生まれ 男
軍事郵便保存会・関西事務局員
趣味と酒、食、女、宇宙戦艦ヤマト、インドア生活(休日)をこよなく愛す
趣味・秘密
本業・割と堅い職業
ニックネーム?・黒い服着た悪魔
トレードマーク・Ψ(`▽´)Ψ
PC系・電気系(家電も含む)が完全に駄目な私ですが、何時まで続ける事が出来るのやら・・よろしくお願いいたします。

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