2006-10

ビルマ宛て民間便

今日ご紹介するアイテムは、大戦中のビルマ宛ての民間便です。

ビルマは、16年12月頃にビルマに. 日本軍がタイから侵攻を開始し、その翌年3月8日には. ラングーン(現ヤンゴン)陥落、5月1日マンダレー陥落、そして. 5月中にはほぼビルマ全土を配下に入れました。その後日本との郵便が再開されました。
この後、ビルマは18年8月1日、日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。
ビルマへの郵便料金は、日本の国内料金が適用されていました。

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これは、ビルマのラングーンに有った山下汽船のビルマ水運部宛ての手紙で、差出の消印は、小岩 18年11月17日です。

ビルマのラングーンはこの後、20年3月27日アウン・サン(アウン・サン・スー・チーは娘)がビルマ国軍を率いて、日本軍に反旗を翻しました、その後5月のラングーン陥落までに日本軍は、ラングーンいた兵站関係の部隊在留邦人などで、急遽「蘭」兵団を編成しました。
この宛先人の方も蘭兵団にもしかすると編入されていたのかもしれません。

明日は、この話の延長の「蘭」兵団に宛てた郵便物をご紹介しましょう。
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カラオケ教室

先日、友人と飲んでる内に悲劇が!
終電の時間を見ながらの飲酒だったのですが、行った飲み屋の時計が止まっていたのです!!
気づいた時は、もう後の祭り・・・・(TT)
泣く泣く次の飲み屋に(次の日は朝から仕事Ψ(`▽´)Ψ )
その後、友人がグロッキー状態に・・・汗(因みにその友人は次の日休み。)
仕方ないので、朝までやってるカラオケ屋に「朝までマラソン」で乱入♪とりあえず私がトイレに行ってる間に、友人が選曲して自分の好きな曲入れてました・・・・が・・・。
そう!かく言う私も歌が上手く有りません・・・どっかーてーとー下手です(キッパリ)。そんな私が聞いても酷いもんでした・・・・。
そこからはもう・・・スパルタです、同じ曲を数えきれないぐらい連荘リクエスト、音程合わし、節回し、感情の出し方・・・。
結局、2時過ぎから朝の5時まで、ぶっ続けで一つの歌ばかり練習しましたとさ・・・・。
そう!
「愛・おぼえていますか」
を・・・Ψ(`▽´)Ψ
(注、アニメ・超時空要塞マクロスの映画版の主題歌
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E6%99%82%E7%A9%BA%E8%A6%81%E5%A1%9E%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9_%E6%84%9B%E3%83%BB%E3%81%8A%E3%81%BC%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B 参照Ψ(`▽´)Ψ

いやぁぁぁ・・・女性の歌う高音の歌を、男が熱唱・・・。
その心意気に負けました!
私の友人は、真の漢でしたΨ(`▽´)Ψ

開戦により逓送停止-米国編

今日、ご紹介する葉書は米国差出の開戦によって逓送停止されて、戦後に日本へ逓送された手紙です。

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この手紙は、受け付けた日付は入って無いですが左下に「RETURNED TO SENDER SERVISE SUSPENDED」が押されて、戦争が終わるまで局で取り置きされていたものです。
その後、1946年、OCT 5にSYRACUSE局で切手が抹消されて日本に逓送された例です。

今日は短めのかるぅぅいお話でまとめてみました♪
たまにゃーこんな日も良いかなぁぁとΨ(`▽´)Ψ

現地の官製葉書を使用した軍事郵便

今日、ご紹介する軍事郵便は、占領した地域の元々流通していた官製葉書を軍事郵便の葉書に転用した例です。

今回の紹介は、ビルマの例で、現地葉書の使用例としては、比較的多い部類に属するものです。

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差出のアドレスは「ビルマ派遣、林、第3751部隊」で独立輜重兵第51大隊です。
この部隊は、南方軍、ビルマ派遣軍隷下の28軍(19年1月に新設)直轄部隊でした。

額面はもちろん無効で、「軍事郵便」の指示書きと検閲印が押されて、台葉書が現地製だと言う事以外は、普通の軍事郵便です。
たまには、こんな軍事郵便の紹介もいかがでしょうか?

この部隊も含め、陸軍のビルマ作戦については、いつかきちんとした特集を組んでみようと思っております。

ルオット

今日は、ルオットに宛てた軍事郵便を紹介します。

ルオットは、マーシャル諸島クゥエゼリン環礁の北端にある小島です。
この島は、主に海軍の航空隊の基地となっており第24航空戦隊司令部、725空、281空などの約2900人からなる部隊が駐屯していました。

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この軍事郵便のアドレス「横須賀局気付ウ115ウ31」は、ルオット(ウ115)施設部出張所(ウ31)の事です。
消印は、半田、18年3月11日差出です。

ルオットは米軍の反攻作戦の初期段階として、19年2月2日に玉砕しました。
この軍事郵便には米軍の「野戦統合情報検閲済」印が押されており、米軍に日本軍玉砕後、摂取されたものとわかります。

この軍事郵便の真ん中の折り目は、宛先人の日本兵のポケットなどに折って入れて有ったものと言われています。
(摂取品の葉書や手紙には、二つ折りや三つ折り、四つ折りに折り目の付いた軍事郵便が非常に多く存在しています。)

日本占領地・蘭領インド地区からの郵便

日本は、太平洋戦争時に占領した南方に軍政をひきました。

そして。治安の回復に努めると共に各地の郵便事業も再開させました。

南方の日本占領地では、持ち込みの日本切手、旧体制下の切手の一時使用、旧体制下の切手への加刷、そして正刷切手など様々な切手が使用されました。

今日ご紹介するマテリアルは、そんな中の旧蘭領インド地区で使用された旧体制下の切手へ加刷した暫定切手を使用した日本宛ての書留便です。

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メダンから日本宛の郵便はちょくちょく見かけますが、書留はちょいと少ない様です。
差出はメダンの民政部政庁からの民間便です。

戦争を語るうえで、軍事郵便も重要ですが、この様な民間関係の郵便物もまた一つの重要なファクターだと思うのです。

国内扱いの外地からの軍事郵便

日本の外地(台湾・朝鮮・関東州)でも、軍事郵便の引き受けはもちろんされていました。但し、外地発の軍事郵便にもかかわらず、日本の国内料金制度が適用されました。
(日本の外地も、内地と同等扱いなので、戦地扱いされませんでした。)

今日、ご紹介するのは錦州(関東州)から差し出された日本宛て有料書留軍事郵便です。戦地に展開した軍から差し出される軍事郵便は公用便以外、書留に出来ない制度でしたが、この手紙は、日本の内地の郵便制度が適用されているので書留が認められた例です。
(満州国内から差し出された軍事郵便も書留が認められてました。それは、満州国では、軍事郵便局が展開せず、あくまでも普通局の分室扱いで満州国に展開する日本軍の軍事郵便を扱った為です。)

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差出部隊は、関東州・金州・満州第886部隊、消印は、金州/満 昭和18年8月20日、書留料金 17銭貼りです。
(因みに、この消印「金州/満」印は、満鉄付属地時代の消印で昭和10年頃までよく使用され、それ以降は内地の普通の櫛型と同タイプに変更された印で、この使用例は例外的なド後期使用です。)

最終的に日本国内で、戦地扱いに成る地区も20年4月以降数箇所あり、そこでは無料軍事郵便制度が適用されていますが、その話はまた次回にでもΨ(`▽´)Ψ

シブヤン海

今日は、レイテ特集第四弾 戦艦「武蔵」です。

本当は、23日、24日、25日と三連荘の特集の予定でしたが、野暮用が続き、作り置きの記事で濁してしまいましたm(_)m

今日は、少し時間が出来たので、周りを見回して・・・ふっと目に付いた軍艦武蔵からの軍事郵便を使用してみようとおもいます。

栗田艦隊としてレイテ作戦に参加した武蔵は、19年10月19日リンガ泊地出港、20日から22日にかけてブルネイに寄港して給油、24日、作戦に参加中、フィリピン、シブヤン海(12゚50'N/122゚35'E)でアメリカ空母搭載機の集中攻撃(米軍機の雷撃20本あまり・爆弾多数(20発以上)の攻撃を受け軍艦史上最多と言われています。)を受けて沈没しました。
この時、駆逐艦清霜、浜風が乗員2399名中加藤副長を含む1023名を救助しましたが、その後、乗員はマニラに送られ、20年2月のマニラ攻防戦及びその後の逃避行(ゲリラ戦)によりその殆どが帰らぬ人と成っています。

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これは、2代目の艦長、古村啓蔵(兵45)大佐の武蔵から差出の古村夫人に宛てた軍事郵便です。

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検閲者も本人の認め印が有る軍事郵便です。

古村啓蔵は、18年12月から19年10月1日・・・当にレイテ直前まで第三艦隊参謀長として、瑞鶴に赴任していました。
その後、少将に昇進して、20年4月の沖縄作戦に第二水雷戦隊司令として参加、終戦時は横須賀鎮守府参謀長。

レイテ沖海戦では、日本の誇る艦隊の大多数を失う大敗北に終わった悲惨な作戦でした。

今日は、栗田艦隊の中の有名艦の軍事郵便でしたが、機会があれば、西村艦隊や、志摩艦隊、小沢艦隊についても此処で触れていきたいですね。

今日、時間が有れば追加で栗田艦隊の旗艦になった愛宕の軍事郵便か囮艦隊の小沢艦隊関係の軍事郵便の記事をUPしますね。(用意はしてあるのだけれども・・・。)

こじ付けマテリアルの料理法♪

今日は、磯的に好みな使用例です。(今日は自虐モードですΨ(`▽´)Ψ )

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このマテリアルは、昭和20年5月29日にドイツ国系法人の会社よりドイツ国法人の独逸(ドイツ)東亜銀行に宛てた書留です。

料金は封書10銭+書留30銭で計40銭の書留便です。

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折りしも、ドイツ本国は連合国に降伏した後の郵便物です・・・。
何か複雑なものを感じはしないでしょうか?

見た目は、なんの変哲も無い書留カヴァーですが、そんな目で観たら歴史の一ページをかい間見る事が出来るマテリアルでは無いしょうか?

・・・って!実は購入時、「4月29日」と消印を欲ボケで見間違って購入!美味しい日は一ヶ月前で、このマテリアルはその一ヵ月後!だったと購入後に気づいた悲しいおバカ例なのです(TT)
んで、悔しいのでこじ付けの記事を書いて観た次第です・・・ハイΨ(`▽´)Ψ

南洋庁郵便局における民間郵便物の検閲

昨日は学童疎開系の検閲のお話でしたが、今日は南洋庁の郵便局で行われた検閲についてです。
おっ!今日は、マトモに公約守ったな!なんて突っ込みは無しですぜ!旦那Ψ(`▽´)Ψ

先ず・・・本文に入る前に昨日の記事で修正箇所(真っ赤なウソ書いてた所が数箇所)判明いたしました、この場でお詫びいたしたますm(_)m・・・まぁぁなんせ、参考文献使用せずにその場の品物とウル覚えの記憶だけで書いて居るのでしゃーない、ちゃーしゃーないんですが・・・ね♪
因みに昨日の訂正箇所は、訂正が面倒なのでそのまま放置ですΨ(`▽´)Ψ あしからず。

っで、本題です。

南洋庁での内地宛ての民間便に検閲が入る様になったのは、一部例外を除いて、18年初頭と言われています。

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この葉書は、昭和18年2月8日、サイパン局差出の内地宛てです。
検閲印は「須貝」とあり、これは検閲官の通信書記「須貝春吉」氏の認印を流用した物です。
このマテリアルの例は、この制度の使用例としては比較的初期の使用例だと思われます。

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こちらは、パラオの使用例で、17銭料金の書留、18年3月9日差出です。
これにはパラオ局の通信書記補「阿部一雄」氏の認印「阿部」印が押してあります。

南洋庁の郵便局の検閲印はこの2局以外ににも使用された例があります。他の局については、又いづれUPさせて頂きますね♪

此処で一つ素朴な疑問が・・・軍事郵便で、あらかじめ差出前に検閲する制度以外で、封書郵便物の検閲は普通開封しなければならず、内地の検閲の様に検閲後、開封検閲済の「開封検閲シール」が貼られるはずなのですが、この南洋庁で行われた検閲については検閲官の認め印のみで、開封後再び閉じ直したと思われる使用例は、まだ見つかっておりません。
・・・どうやって、検閲したのかが疑問に残る使用例です。

今日も人様の文献をパクッて記事を書きました。
やはり人の文献が土台にした日は、昨日の間違いだらけの駄文よりすごくマトモな記事に見えるのが当たり前でしょうΨ(`▽´)Ψ

本日の記事の参考文献は、このジャンルの第一人者、荻原海一氏の「南洋群島の郵便史-日本統治下の31年-」 からパクラせて頂きました。
有難うございましたm(_)m

学童疎開の自主検閲(民事検閲)

今日は、一昨日に続き学童疎開についてです。

学童疎開の子供たちが親達に手紙を出す時に、学校側が自主的に検閲を施した例が確認されています。
これは民間の検閲なので「民事検閲」と言われているものです。
(郵便物を開封検閲出来る、法令「臨時郵便物取締り令」通称「臨取り令」などの検閲や軍事郵便に対する軍事検閲と区別する為表現)

これには、各種の種類が確認されてますが、今日は生徒達で作った組織での検閲(上級生が担当)と専門の人間がついて行った検閲をご紹介しましょう。

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生徒達で検閲した例です。
消印は、小野新町/福島で、19年5月27日差出です。

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こちらは、もう少し上級の疎開者宛ての手紙で、宿泊している施設そのもで、検閲されたものだろうと考えられているものです。
こちらも昭和19年の使用例です。

一昨日紹介した親からの手紙、今日紹介の手紙などをみていると、いかに総力戦、しかも国民生活にしわを寄せた戦いであったのかを痛感させられる使用例だとおもいます。

明日は、民事検閲繋がりで・・・南洋の民事検閲官印の有る郵便物を紹介しちゃいましょうかね♪

戦地宛て軍事郵便

今日は我が軍事郵便保存会の秘蔵っ子?をご紹介しましょう。

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こいつです。

太平洋戦争が始まってもこれまでどうり戦地宛ての軍事郵便は国内料金(特別軍事航空葉書の返信用の航空料金以外)と同じで逓送されていました。

この葉書は、使用例の少ない「大東亜戦争記念報国葉書(裏面・英軍の降伏)」の使用例で、消印は18年1月6日です。

宛先は「南海派遣 猛 第11400部隊」で、この部隊は第18軍隷下の電信第三連隊第一中隊です。
ニューギニアのホーランジアに展開中、19年4月22日7万人の上陸して来た米軍と対峙、ホーランジアに展開した日本将兵1万4600人の内、サルミに撤退できたのは約500人、内、内地に復員出来たのは143人でした。

この葉書の入手先は、海外のオークションでした・・・・。
入手経路を考えると摂取印こそ有りませんが、この葉書も米軍の摂取品ではなかろうかと想像しています。

緊急告知!!

緊急告知です!!

いやぁぁぁ・・・前々からわかってたのですが・・すっかり今日(当日)まで忘れてましたΨ(`▽´)Ψ

今日、明日(10月21日、22日)と目白の切手博物館(http://yushu.or.jp/museum/index.html#)で「関西悪郵会」という会の記念ミニ切手展が開催されます。!!

不詳私も、今回は軍事郵便保存会ではなく自分の実名で参加させていただいてております。

作品の題名は「帝国海軍艦種総覧」、5フレーム(80リーフ)です。

まぁ・・・以前にも書きましたが、私が夜中にアルコールチビチビやりながらニマニマしながら作った作品ですので、エキセントリックなアブナイ作品な事は保障いたしましょうΨ(`▽´)Ψ

今日発表の今日ですが、もし、東京方面でお時間の都合がおつきでしたらば、足をはこんで頂けたら幸いです。
・・・但し、作品の精度は保証いたしかねますΨ(`▽´)Ψ

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とりあえず、作品のタイトルと目次?みたいなもんです。
ご笑覧くださいΨ(`▽´)Ψ

はっはっはのはー・・・っと、とりあえず笑ってごまかす磯でしたm(_)m

学童疎開

今日は、学童疎開関連の手紙です。

サイパンが19年に陥落後、日本の各都市は米軍のB29の行動範囲に入ってしまい、ほぼ連日の如く空襲にさらされる様になり、20年2月硫黄島が陥落後は、支援の戦闘機も付く様になって空襲はより激しくなりました。

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この葉書は、終戦間近の8月11日に東京・杉並在住の父親が母親の近況と子らの手紙に対する返事を長野に疎開している子供たちに送ったものです。

この時期になると空襲の為ライフラインが尽く破壊され、人々の生活を確実に圧迫しつつありました。この葉書は速達で差し出されています。
多分、そんな状況下でも、少しでも早く手紙が子らの処へ届く様にとの親御心が感じとれる葉書です。

タクロバン

今日もレイテ特集、第三弾です。

レイテ島のタクロバンに米軍が上陸を開始したのは、昭和19年10月20日の事、今日は同じ日なので、こんな郵便物を持ってきました。
(昨日の記事で通称号「星」の部隊の話題を期待していた方・・ごめんなさいΨ(`▽´)Ψ )

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これは、フィリピンの日本占領時の封書料金5センタポ(正刷切手)を貼って、19年7月29日にセブ島のセブから差し出された手紙です。

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裏面です。

宛先のレイテ島タクロバンの郵便局には8月14日に到着しています。
が!
宛先の地区は当時、抗日ゲリラの制圧地域だったので配達出来なかったのでしょう。
この郵便物は、そのままタクロバンの郵便局に取り置きされている処を上陸して来た米軍に摂取されたものです。
(米軍の摂取印は、「JOINT INTELIGENCE」ではなく、米軍の基地所属の摂取官の印が押されています。)

今日は、毛色を変えて民間の摂取便を紹介しました。
このレイテ島の戦いで、日本将兵8万4千の内、7万9260人が戦病死されました。

第一輸送戦隊

今日はレイテ関連の第二弾「第一輸送戦隊」についてです。

マリアナが陥落し、日本は「捷」号作戦の準備に入り、続く米軍の反抗作戦に対処すべく次の米軍の進行予想地のフィリピンに対し、急遽待機部隊(台湾の一個連隊と上海の待機師団)を増派する決定がなされました。

この為に9月25日、海軍の輸送専用艦艇を集中配備し、鹵獲巡洋艦の八十島を旗艦とする優良輸送艦のみで構成された「第一輸送戦隊」を編成しました。
今日紹介する軍事郵便は、この戦隊に集中配備された「一等輸送艦」三隻の内の一隻「第九号輸送艦」です。

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この九号輸送艦は、19年9月20日に竣工後直ちに第一輸送戦隊に編入されて、数々の絶望的な輸送作戦に従事し、終戦まで生き残り、戦後賠償艦として米軍に引渡されました。
終戦まで生き残った輸送艦は終戦までに竣工したこのタイプの輸送艦21隻中、わずかに5隻、しかもその5隻の中で一番古くに竣工して生きぬいた艦です。

レイテ戦って言うと、栗田艦隊とか志摩艦隊、小沢艦隊とか想像される方が多いと思いますが、実は、こんな艦隊も参加して甚大な被害を出しているのです。

・・・・ってか、こんな風なのしか紹介しない磯が変わってているだけなのかもしれませんが・・・だって・・愛宕や武蔵・・瑞鶴、扶桑とか紹介するよりこっち(九号)の方がすきだもん・・だから紹介順序が・・ね・・・Ψ(`▽´)Ψ

んな事書いておいて、多分次ぎに紹介するとしたら陸軍でフィリピンに投入された台湾の部隊「星」ぐらいを話題に出すひねくれものなんですよね・・・私♪

祝!ブログ開設一ヶ月!!

三日坊主の私が良く一日も休まず一ヶ月このブログを続けたもんです。
・・・・っと、言う事で!

今日は、休みますΨ(`▽´)Ψ

明日からは、又、平常どうりにもどります。

復員挨拶状

今日はマテリアル的には比較的新しいものです。

横井庄一氏の復員時の挨拶状です。

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これは昭和47年2月2日、グアム島より復員された後、国立東京第一病院より差し出された復員挨拶状です。

横井氏については、改めてここのブログで紹介しなくても有名なので割愛しますね。
↑これっばっかり・・・汗

海軍穿孔の申請用紙

企業や商店では、購入した切手などの不正使用防止の為に、「穿孔」という制度を利用していました。

穿孔制度とは、企業や商店などで購入した切手を、社員などが勝手に不正使用出来ない様に、切手に特殊な孔(穿孔)を開けて使用したものです。この仕組みは、あらかじめその企業や商店などが使用する特殊な孔を最寄の郵便局に届け出て、その企業や商店が最寄の郵便局で使用する以外の郵便物には使用出来なくするもので、海軍でもその制度を利用していました。

但し、海軍の様に使用する機関が多数存在する場合は、使用する各機関毎におのおの申請していました。

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これは、その海軍穿孔使用の許可申請の書類です。

因みに海軍の穿孔は「錨」マークで、陸軍は「逆W」でした。

従軍僧

今日、ご紹介するのは太平洋戦争以前の従軍僧差し出し軍事郵便です。
軍事郵便の使用を許可された軍属のなかには、従軍僧もいました。

従軍僧とは、戦地で戦死された兵士の亡骸を一時、戦地に設置された各宗派の別院で一時的に弔い、彼ら(戦死者)に付き添って帰国する各宗派より派遣された僧侶の事です。

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これは、浄土宗・知恩院の別院(大同に設置)から従軍僧が差し出した軍事郵便です。
使用された葉書も、知恩院制作の葉書です。

この従軍僧達も、太平洋戦争勃発後は逐次兵士として召集され、戦地へと投入されたそうです。

制度としては、軍属扱いだったらしく、軍属にはこの他に、ラジオ放送局の職員、従軍看護婦、野戦郵便局局員、従軍記者、従軍宣教師、従軍画家、従軍慰問団、従軍特殊技能者(工業関係の技能者)など各種の軍属扱いの業種の熟練者が軍事郵便を利用できました。

他の軍属差出の軍事郵便は又、別の機会にご紹介させていただきますね。

軍事切手

日露戦争後、無料の軍事郵便の制度が負担に成りつつ有った逓信省と戦地扱い各当地域派兵の駐留将兵に対する軍事郵便サービスを継続させたい海軍省、陸軍省との協議の上で、採用されたのが「軍事切手」です。

この切手は、当時朝鮮・中国に展開する陸海軍将兵に対して、下士官・兵は月に2通までの軍事郵便にかわる無料郵便が許可され、この郵便物を差し出すときの証紙です。

正式名称は「軍事郵便證票」と言うらしいです。

上記の通達が出たのが、明治43年の11月10日、これにより当時一般に封書料金として使用されていた「菊3銭」切手に「軍事」の文字を加刷したものを12月1日付けで発行されました。

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これは、軍事切手発行後18日目の使用例で、消印は、「満・鐵嶺 43.12.18」差出部隊は、鐵嶺歩兵四十三連隊差出です。
この日付は軍事切手使用例の中では、比較的早い使用例だと思われます。

理屈の上では、この証紙、葉書にも封書にも使えたのですが、如何せん加刷の台になった切手が封書料金の切手だったので、その使用例の大部分は封書に使用されています。
(一部、昭和17・8年ごろに関東州で葉書に使用された例が報告されています。)

因みに、この切手をはった無料郵便は、あくまでも郵便であって軍事郵便ではありません。

今日の文章を制作するにあたって、玉木淳一氏の著書「軍事郵便」からだいぶん、文章をパクらせて頂ました。有難うございましたΨ(`▽´)Ψ ・・・事実・・「軍事郵便證票」なんて正式名称すら知らなかったんですから・・・汗 
おー流石に人の文章が土台になってると文章量も多くマトモに見えるのは不思議だΨ(`▽´)Ψ

お待ちかね?

のあの方の登場です。

先日よりなぜかスキャンの度に失敗していた、東郷平八郎です。
これで、やっと、骨董・古本方面で有名な「御三家」の軍人の手紙をご紹介する事ができます。

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これは、明治23年、広島(呉)にいた東郷平八郎が、義理の父親(嫁の父)の海江田信義に宛てた手紙です。

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残念ながら、内容の手紙は失われています。(TT)

なんとか、このブログ開始一ヶ月以内にお約束の「御三家」がUP出来て嬉しい限りです・・・ホッΨ(`▽´)Ψ

警察訓練所

昨日は、ヘビーだった(私が)ので、今日は割りと軽目のご紹介です。

戦争が進行(負け)して来ると、物資、資材などの不足に加えて人材の不足が深刻化して来ます。
国家の治安を考えると、警察の弱体化は避けなければなりません。そこで・・・。

今日、ご紹介の葉書です。

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警察訓練所の少年警察官からの手紙です。

まぁぁ・・・見てのとおりの品物です。

今日は、比較的ズボラします・・・お許し下さいΨ(`▽´)Ψ

飛行九十八戦隊

今月は、レイテ特集みたいなモノを出来たらしよう♪っと無責任な出だしだったので、少し真面目なマテリアルをUPしましょう。
今日から62年前の十月十二日~十六日の間、レイテ作戦の前哨戦のあたる事件(出来事)が起こりました。

そう「台湾沖航空戦」です。

台湾沖航空戦とは、今まで類を見ない、陸軍航空隊と海軍航空隊の共同作戦による、延べ約1000機にも及ぶ航空機が参加し、ハルゼー提督率いる米第三十八機動部隊とのレイテを巡る、日本の補給線分断を賭けた戦いでした。

この時、日本が投入したのが悪天候でも雷撃が出来る様にまで訓練された秘蔵の「T攻撃部隊」です。その指揮下には、史上初の陸軍雷撃隊の飛行九十八戦隊があり、この飛行戦隊は、雷装仕様の陸軍新鋭重爆「キ67」を主装備していました。

この戦いで九十八戦隊は、壊滅的な打撃を受け、その後内地で再編、海軍の762空の支援を受けて、九州沖航空戦、沖縄・菊水作戦、などに参加しました。この後昭和20年7月1日、飛行九十八戦隊は海軍の指揮下より独立、本土決戦(決号作戦)に備えて、内地各地に展開中に終戦を迎えました。

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この軍事郵便は、その飛行九十八戦隊(部隊アドレスは「晴 21203部隊」です。)が決号作戦に備えて再編成中の7月19日に差し出されたものです。

時代は少しずれますが、貴重な使用例です。

たまに、真面目モードやるとすんっごく疲れるのは気のせいでしょうか・・・・汗

くくくくっくー(><)

先日の「秋の味覚」で登場の長野友人が、私のリクエスト本命の

「香茸」

を今日、送ってくれました。

くくくくくっくーΨ(`▽´)Ψ

もう、トレードマークの邪心君も大喜びです♪
半分は干して、香茸飯用に、半分は天婦羅です(><)

至玉の一時!

今日は、赤ワインで攻めまました♪
ボルドー系が合うので、今日のワインはカリュアド・ド・ラフィット2001(ラフィット・ロートシルトのセカンドラベル)、シャトー・ラルーズ1990とかを合わせましたよ♪途中、昨日の飲みさしのドイツ・バーデンの白1997に浮気、これも酸味がまろやかで、天婦羅にあいましたよんΨ(`▽´)Ψ

その他にも様々茸を送ってくれたので、雑茸汁を作って・・・・あぁぁ・・・甘美じゃぁぁ・・・・。

特別輸送艦

終戦後外地には、沢山の邦人が取り残されていました。(将兵も含む)
連合軍は、一部の戦犯や病人を除いてその大部分の早期日本、帰国を考えました。
しかし、復員の為には、多数の船舶が必要になります。が、日本はこの戦争で日本所有の大型船を殆ど失っており、必要数の復員船を調達できませんでした。
そこで、復員局(海軍省、陸軍省が戦後解体された両省の変わりに復員作業を行う部署)では、武装解除を行った旧海軍の残存艦艇を期間を決めて借り上げ、急遽甲板上に臨時のプレハブを建てて復員船にしました。

今日、ご紹介するマテリアルは、旧海軍の武運でひときわ有名な艦「雪風」の特別輸送艦時代のものです。

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この駆逐艦の大戦中のエピソードは、今回割愛して、復員作業について書いてみます。

特別輸送艦に指定された彼女(雪風)は、昭和21年2月より翌22年5月までにラポール(ラバウル)を初め10数回の復員航海を行い、1万3千人に祖国の地を踏ませました。

彼女は、その後、中華民国に賠償艦として引き渡され、同国海軍の旗艦も勤め、昭和41年、老朽化の為除籍されました。
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↑は復員船(艦船銘は不明)の乗組員宛ての手紙です。

復員作業について
上記の様に日本の残存艦艇による復員作業ではとうてい船舶量は足りず、その大半は米軍の勝利の元と呼ばれたリヴァティー・シップに頼らなければいけなかったのは、皮肉なもんです。

おまけ

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リヴァティー・シップからの郵便です。この、「VO84」ってのがこの船の艦籍番号で・・・まぁぁ・・このまま行くと長くなるので、今日はこの辺で♪

因みに、このリヴァティー・シップの運行乗員の殆どは日本人が担当したらしいです。

給糧艦

今日は、海軍の給糧艦「間宮」からの軍事郵便です。

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間宮級給糧艦「間宮」 同型艦無 15820t 乗員283

88艦隊計画による運送艦(給糧艦)として川崎神戸で1922年10月25日起工。
1923年10月26日進水。
1924年7月15日竣工。
1944年12月20日海南島三亜の東方沖約250海里の南シナ海にて、アメリカ潜水艦(SS315)シー・ライオンから発射された魚雷を受けて沈没。
1945年2月10日除籍。

伊良子級、給糧艦が竣工するまでは、日本海軍唯一の給糧艦。

給糧艦とは、艦隊に随伴して各種の食料の補給をする役目の艦で、言わば、艦隊の台所みたいな艦です。羊羹工場やパン工場、サイダー工場などが、艦内に設置されていました。私の大好きな艦(ふね)です。

緊急記事-北朝鮮の核実験

今日、新聞、ニュースで皆さんももうご存知だと思いますが、北朝鮮が核実験を行った様です・・・。

日本は、唯一の被爆国・・・こんな報道聞くと胸が痛みます。

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これは、日本で使用された原爆に関連するマテリアルです。
左は、原爆で宛先不明になって返送さてた郵便です。
右は、20年8月20日、広島より原爆使用約2週間目に差し出された近況報告の手紙です。

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少し、読みにくいですが、此処の読者の皆様も一読下さい・・・いたたまれなくなる文面です。

最後に、被爆後の広島(昭和23,4年頃)の絵葉書と被爆直後に現地入りした、現東大の医療チームの葉書もUPしておきますね。

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すごく、嫌なニュースを今日は聞きました。

ふふふふふ・・・ちゃんと帰れたよ・・・

ヤマトの坊や達・・・Ψ(`▽´)Ψ

お祭り週間3日目、昨日も飲みました・・・汗
今(朝の6時過ぎ)ご帰還です。

居酒屋スタート、屋台でおでん・・ココ壱(カレー屋)でかるぅぅぅくミニカレーとビール、最後は朝までやってるオイスター・バーで、生牡蠣アーンド焼き牡蠣、牡蠣フライなどをアテに、キンキンのブルゴーニュワイン♪

最高じゃぁぁ!!

牡蠣で飲むワインは、普通シャブリ系ってのが定番なんですが、昨日は若いフィッセ系でせめて・・・う~ん・・なんてんだろう・・そう!「若さゆえの官能と甘美そして訪れるアンニュイ・・目覚めて初めて全てを受け入れる自己」って感じのワインを堪能
・・・すいませんイイカッコ言いましたがワイン本の受け売りです・・・(そのまんまの盗作とも言う)

因みに今日のワインは、プィィ・フィッセ・キュべ・オールクラス2003、プィィ・フィッセ・シュヴェリエール1996、ルイ・ジャド社のシャシャール・モンラッシェ1998、その後にポートのヴィンテージ物(50年代)をクイッと・・・♪

↑あぁぁぁ・・・よっぱにはもったいなさすぎる内容・・・。
旨かったスッ!

そして・・・
やっぱ!人の会計で飲む高級ワインは旨い!!

堪能させて頂きました。m(_)m

軍用電報

軍事郵便を収集してると結構さけて通れないのが軍用電報です。

電報の歴史については当方門外漢(近日、この分野で、非常に良い文献が刊行されるらしいです♪楽しみ♪楽しみ♪)ですが、科学の進歩に戦争の技術が付きものな様に、電報も軍事とは切り離せないと考えています。
軍用電報は、古くは西南戦争より前から使用されていましたから、有る意味軍事郵便の大叔父さんにあたる存在かもしれません。

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普通、軍用電報は折りたたまれて、専用封緘で留めて配達されますが、今日ご紹介するのは、その未配達電報です。

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これは、上の軍用電報の上に敷いて有る硫酸紙の記録紙?(正確な名前を知りません)です。

この硫酸紙付きの電報は、制度上普通は市場に出回らないものですが、
この場合、「宛先人住所不明配達し能はざるに付き保管す」の朱書きが有る事から、後に払い下げの廃棄書類と共に出て来たものでしょう?(今じゃ、絶対考えられない対処ですよね。)

軍用電報は割と現存していますが、この硫酸紙付きの未配達、またはその未使用は非常に貴重な資料と思われます。

↑ってそんな事書いておいて、実は本当は山の様に残っていたりして・・・そんな使用例Ψ(`▽´)Ψ ・・・今日は割りと自信無しモードの磯でした。

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プロフィール

324-磯風

Author:324-磯風
1972年生まれ 男
軍事郵便保存会・関西事務局員
趣味と酒、食、女、宇宙戦艦ヤマト、インドア生活(休日)をこよなく愛す
趣味・秘密
本業・割と堅い職業
ニックネーム?・黒い服着た悪魔
トレードマーク・Ψ(`▽´)Ψ
PC系・電気系(家電も含む)が完全に駄目な私ですが、何時まで続ける事が出来るのやら・・よろしくお願いいたします。

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