2012-05

PASSED BY 74

久々に押収品です。

この米軍の押収品印・・・やはり、何回見ても好きになれません。
今日のマテリアルは、「№74」印の押収印が付いています。
ペリリュウ島です。

IMG_0009_20120207010458.jpg

海軍の陸戦隊隊員の差出される前の葉書で、裏面は白紙です。

お作り

アッツ島を占領した米軍が、アッツ島で接取した日本陸軍の野戦局の備品を使用して作った、記念品です。

スキャン画像0116

日本人の心情的には、あまり気分が良いものでは無いですね。

押収品

太平洋戦地で、未使用の葉書に押された米軍の押収印です。

スキャン10001

押されている番号場所も特定出来るのですが・・・・。
今回も個人的にはあまり印象が良くないマテリアルなので、画像のみです。


全然関係ないのですが、Hさんへの私信。
お贈り頂いたご本、手元に届きました。
有難うございます。
現在、この時季特有の繁忙期なので、中はまだ拝見出来ておりません。
申し訳御座いません。
もう一週間ほど後に、また改めてお返事させて頂きますね。

ぺりリュー島宛て

ペリリュー島宛ての有料軍事郵便です。
この島宛ての郵便物のご紹介は、確か・・・始めてのはずです。

スキャン1

差出は、呉、昭和19年5月12日です。
差出人のアドレスは、呉海軍施設部からです。
宛先人のアドレスは、横須賀局気付ウ40ウ47で、ペリリュー島、第30根拠地隊です。
この郵便物は、島が玉砕する約5ヶ月前に差出されたものです。
出所・・・品物の状態・・・完全に押収品です。


サクラが散る時期なので、この使用例を持って来ました。
・・・・・・・・合掌。

台南海軍航空隊

昨日、「楊村」をやったので、今日は「通州」やろうかな?って考えてたら、また、雲隠れ・・・いつも何処に遊びに行っているのでしょうか・・・・・奴らΨ(`▽´)Ψ

っと、云う事で、今日はガラット変わりまして・・・・。
私個人的に非常に重たい気分になる米軍の「押収印」の在る戦地宛の軍事郵便のご紹介です。

スキャン画像1182

北海道から、南方に展開していた台南空宛の軍事郵便です。
葉書の真ん中に在る山折れが、見る者の心を重たくさせています。
・・・・・・・・・・合掌。


やっぱり・・・わかっていても、この一族は、心情的に面白く無いアイテムです。

あぁぁ・・・無情

今日は、テニアン島で米軍に接収されたマテリアルをご紹介しましょう。

20071012023403.jpg

この葉書は、テニアン島に差し出された日付けとしては、たぶん最終に近い日付を持った軍事郵便だと思われる例で、差出の日付は昭和19年5月24日となっています。
葉書のアドレスは、横須賀局気付ウ21ウ318で、テニアン島に展開していた第82防空隊となっており、このアドレスが使用された期間は、19年の5月10日頃からとなっています・・・。

テニアン島に、米軍が上陸したのが昭和19年7月24日で、同島が陥落したのは、8月2日の事でした。

この葉書も、米軍にその時、摂取されたもので、米軍の接収印が大きく不気味にその存在感をアピールしています。
・・っが!、そんな姿がもっと拍車をかけて、個人的には、哀愁をかんじさせるマテリアルとなっています。

サクラサクラ

新年度に入りもう3日が過ぎました。

我が家の庭の桜の木も大体5分咲きを少し過ぎたぐらの淡ぁぁい薄ピンクに彩られています。

学生の頃は、桜を観ると「あぁぁ・・・又、新学期かぁぁ・・。」と思い、社会人になり、今の仕事の下済み時代は「おぉぉぉ!!又、下っ端が入って来る♪」なぞと不謹慎な笑みを浮かべておりました。

しかし、最近は事、軍事郵便の収集、保存を開始してからと云うものこの桜を春先に観ると、何故か抽象的な気分に浸る事が多いのです。

当会の様に軍事郵便の収集、保存を目的として活動しておりますと、「桜」に対する、美談や英談を良く耳にします。(戦争ものの映画の主題歌などにも、歌詞に非常に多様されていますよね。)
それは、ある種、私などにしてみれば、ただの美談などでは無く、自分の根底に訴えかける何かが有る様に思われて仕方無いのです。

柄にも無い事を冒頭からクチクチと書いてしまいました。このまま書き続けているとそれこそ長文に成りそうなので、本題に入りましょう。

主題にしました「サクラサクラ」は昭和19年11月24日午後4時、ペリリュー地区隊長中川大佐は軍旗と機密書類を焼却し、その旨を伝える符号をパラオ本島に向け打電した時に使用されたものです。

よって、今日は、太平洋の激戦地ペリリュー島関連の軍事郵便をご紹介しましょう。

この島に関する情報は、当ブログより良く紹介されたHPや書籍が沢山有りますので、戦火の状況や、戦闘の推移などはそちらを参照頂ければ幸いです。

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この軍事郵便のアドレスは、向かって右が横須賀局気付※ウ40、照第7746部隊でペリリュー島(ウ40)、第14師団第2歩兵連隊(水戸)第21衛生隊からのものです。(第2歩兵連隊はペリリュー島守備の主力)
そして左の米軍接収印が付いた軍事郵便は、アドレスが※ウ30(パラオ)となっていますこの照第7757部隊奥住隊は、同じく第14師団に属していますが、主隊をパラオ島に置き、その一部のみがぺリリュー島に派遣されて、同島で玉砕した高崎、歩兵第15連隊第3大隊の差出前に米軍に接収されたものです。(米軍の接収印の番号は「74」となっております。)

※ウ40、ウ30
パラオに展開した陸軍(第14師団)は第31軍隷下で米軍によりサイパン・グアム陥落後、第31軍の指令機能が喪失したのち南方軍の指揮下に入りました。が、郵便のルートは海軍のルートを使用した為、アドレス表記は、海軍の所在地区別符(ウ40など)を使用し、その下に陸軍の部隊番号を記入する「ハイブリット」型が使用されました。
(因みに上記の2点は、2点とも「YUAd型」で表現されます。)

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こちらは、海軍部隊からの未差出の軍事郵便で、この軍事郵便も米軍に接収されています。(接収印の番号「74」)この軍事郵便の裏面は真っ白で、手紙記載前に持ち主の手を離れて米軍の手に落ちたものです。
部隊アドレスは、横須賀の海兵団気付のままになっており、海兵団から卒団後すぐにこの島に配置された方だったのでしょう。残念ながら正確なこの方の部隊は不明です。(この方の横須賀海兵団時代に宛てられた昭和18年の手紙も当会では所有しておりますが、この手紙を持ってペリリュー島へ行かれた様で、折り目{押収品には非常に多いパターン}の入った葉書の裏に同じく「74」の接収印は押されています。)
ペリリュー島には、各種海軍部隊が約4000名ほど派遣されていました。

この島で、日本軍の将兵約1万名の方が亡くなり、米軍の将兵も死傷者あわせて1万人を超える犠牲者を出しました。

この島の戦いで、米軍からは日本軍の闘い振りと精強さから、ぺリリュー島を「天皇の島」と呼ばれているらしいです。


今日は、いつもの様なおふざけ無しでやってしまいました。
やはり、この押収品のタイプの記事を書くといつも気が重くなってしまいます。太平洋の島、そして、20年の春を迎えずに発せられた19年末の電文・・・「サクラサクラ」・・・今の自分が在るのはどういう事かと考えさせられる一文です。


今夜は、家の窓から観える桜を愛でながらお酒を頂いてみようかと、画策しております。

※今日のテーマを師団シリーズにしようか迷いましたが、押収品のカテゴリーとしました。ご了承ください。

グアム島の米軍摂取印

今日は、日本軍が玉砕したグァム島での米軍が摂取した軍事郵便をご紹介しましょう。

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この軍事郵便は、楠公2銭葉書を使用した無料軍事郵便です。差出人のアドレスは、急遽戦地に転戦が決まったらしく、旧アドレスのままです。(ですから何処から差し出された軍事郵便なのか不明です。)
この宛先人のアドレス、横須賀防備隊ならば内地ですが、この人もこの手紙を持ったまま転戦したのでしょう。そこに米軍の摂取印が押して有ります。この摂取印の中の番号「55」がグァム島で使用された事が判っています。ですので、この軍事郵便もグァム島で摂取されたものとおもわれます。この軍事郵便の状況からしてやはりこの手紙の主は戦死なさっていつのでしょう・・・・。
心からご冥福をお祈りいたします。合掌。

因みに、先日ここのブログで少し触れました、郵便学者・内藤陽介氏のブログにもまったく同じ「55」の摂取印が押された満州軍(第29師団)に宛てた軍事郵便(06年8月9日、記事)が紹介されており、その方も軍隊の転出でグァムで多分戦死されているとおもいます。参考までにそちらのブログもご参照下さい。
(↑すいません、また、勝手な事書いちゃってます・・・汗。)

やはり、このタイプの摂取品は心情的に余り気分の良いモノではありません。

硫黄島特集-3

今日も集中特集第三夜です。

昭和19年5月には新たに小笠原地区集団として、第31軍の隷下に第109師団が編成され、師団長に栗林忠道中将が就任しました。翌6月、栗林中将は硫黄島こそが最重要拠点と判断し、司令部を父島から硫黄島へ進出させました。硫黄島に降り立った栗林中将は、圧倒的な戦力を持つ米軍に対し、島を守り切ることは不可能と判断し、上陸部隊にできるだけ大きな損害を負わせ、本土への進攻を1日でも遅らせる作戦を立てました。そのため、島全体を地下要塞化し、艦砲射撃にも爆撃にも耐えうる広範囲な地下坑道の建設が始められたのでした。
(まぁぁ・・・この辺は、あの、例の映画を参照して下さいw)

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出雲 昭和19年8月25日差出のウ27胆第7179部隊(第109師団隷下の独立速射砲第11大隊)宛ての郵便です。(YUAd型)
6月に島根の浜田で編成され、7月に硫黄島に到着した直後の差し出しです。差出人は噂を耳にしたらしく、「硫黄島にいらっしゃるとの事」と書き送っています(裏面の文章は省略しますねΨ(`▽´)Ψ )。サイパン失陥の直後で、文面には硫黄島が空襲されたことが述べられていて、米軍の上陸までは坑道建設が主な仕事だったが、この部隊は米軍上陸後、島中央部の元山飛行場付近に布陣し、飛行場に殺到する敵戦車群を速射砲で苦しめて大いに奮戦しました。

この郵便物も、出所(アメリカのオークション)から考えて米軍の押収印は無いですが、米軍の押収品と考えられます。

第62師団

最近、連日テレビの特報でクリント・イーストウッド監督の2部作の映画の第二部日本側から見た硫黄島戦を描く「硫黄島からの手紙」の宣伝が流れています。そこで、ミーハーな磯も何か特集を組もうかと考え、今日は、同じ20年に入っての激戦の島つながりってことで沖縄に展開した第62師団に宛てられた葉書を持って来ましたΨ(`▽´)Ψ
・・・ほっとにひねくれてますね・・・私・・・否、有る意味病んでいるのかな??Ψ(`▽´)Ψ

この第62師団は、昭和18年に独立混成第4旅団と独立混成第6旅団の一部を持って再編された師団で、主に山東省の警備に当たっていました。その後、19年8月に沖縄に転進、沖縄本島中心に展開しました。
20年4月1日の米軍上陸の正面に展開していた師団だったので激戦を強いられました。その後師団はジリジリと南に後退、6月22日に藤岡師団長が自決、師団としての戦闘に終止符が打たれました。

通称号は「石」編成地は華北、補充担当は京都で、終戦時の上級部隊は第32軍でした。

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今日の葉書は軍事郵便では有りません、それは以前にも書きました様に、朱書きの「軍事郵便」が記入されていないからです。
この葉書は、部隊が沖縄に転戦後の19年10月に内地から差し出され、後に米軍に摂取されたものです。葉書表面には沖縄型(主に沖縄で使用されているのでそう私が呼んでいるので、正式名称とは違います。)と言われる米軍の摂取印が押されています。この摂取印の一部はアメリカ本土及び硫黄島(ここでも繋がりが・・・ってこじ付けですね^^;)での使用も現在確認されています(また機会が有ればUPしましょう)。
部隊アドレスは、那覇郵便局気付石第3596部隊で、独立歩兵第15大隊(京都)です。この部隊もやはり沖縄戦で玉砕していますので、この葉書の宛名主もお亡くなりになられているでしょう・・・・このタイプの葉書はやはり個人的にはすごく胸が締め付けられる思いのする葉書です・・・・ご冥福を祈りつつ・・・・合掌。

今月は、開戦(12月8日)月なのですが、あえて硫黄島月間にしましょうか?只今思案中です。

???-米軍の記念品

今日は少し異質なマテリアルをご紹介しましょう。
百聞は一見にナントカです・・・↓

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これは、米軍のフィールド・ポスト(軍事郵便)なのですが、この軍事郵便は少し・・・否!ダイブ「変?」なのです。

先ず、米軍の軍事郵便に見られる検閲印が有りますので軍事郵便でしょう、宛先はイギリスです。
次に、お遊びでしょう・・・逓信省の戦前型の封緘紙が貼られ、「緘」の印で封筒にタイしています。
此処からが問題です!
この封緘紙の左に在る判子・・「第三八一野戦」とは、アッツ島(熱田島)に割り振られた野戦郵便局の印なのです・・・しかもその上に在る日付と思しき数字・・「18.5.25」、そうアッツ島が玉砕したのは昭和18年5月30日・・・。
そこで問題がまた一つ、その下に在る「速達」「米国行」の印です・・・。流石に戦時中の野戦郵便局が米国行や速達の印を持って居なかったと思うのですが・・・・。
そして、この全ての印を押したインクはどうも最初の米軍の検閲印と同じインクなのです。

このタイプ(まったく同じ)米軍軍事郵便は現在、数例確認していますので、米軍の部隊などはまだ調べてませんが多分、フィラテリック(郵趣的な)な作り物だと考えられます。
が、詳細は不明です。どなたか、詳しい方がおられれば、ご一報頂ければ幸いです。

私的には余り気分の良いマテリアルではありません。
(とりあえず、今日のマテリアルのカテゴリーは押収品にいておきます。)

尚武集団

今日ご紹介する軍事郵便は、20年1月6日にマッカーサーがリンガエンに上陸して来た時、フィリピンでの兵力不足で日本軍が軍を3つの集団に分け、向えうった集団の一つの「尚武」から差し出されたものです。

この時、日本軍が作った3つの集団は、尚武(北部山岳)建武(クラーク空軍基地周辺)振武(マニラ東方山岳)でした。

この集団は、物量の米軍に対して各種の抵抗を続け終戦まで米軍をフィリピンに釘付けしました。

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この軍事郵便のアドレスは、比島派遣 威5103部隊で、「尚武集団」隷下の電信第二連隊差出のものです。
(三角返信片付き陸軍特別航空軍事葉書を使用しています。)
(この集団の部隊通称号は「尚武」または「威」で表されました。)

この軍事郵便の文面を読むと正月の事が書かれており、米軍上陸直前に書かれた軍事郵便だと言う事が判ります。この後、米軍に摂取されたものなのでしょう、日本の降伏調印の日の記念印(米軍の軍事郵便局印)が押されています。1945,9,2・・・おそらくこれは、米軍が正規に摂取したものではなく、米兵の戦利品感覚で摂取(剥ぎ取った)さしたものだったのでしょう・・・・・。
こういう軍事郵便を観ると・・・本当にいたたまれない気持ちにさせられます。

このフィリピンの戦いでは、46万6千人の将兵の内、37万7500人が戦病死され、先日のレイテ島など、フィリピン全土の戦没者は51万6000人にものぼりました。

多数に英霊に対し・・・ご冥福を祈らずには居られません・・・合掌。

ルオット

今日は、ルオットに宛てた軍事郵便を紹介します。

ルオットは、マーシャル諸島クゥエゼリン環礁の北端にある小島です。
この島は、主に海軍の航空隊の基地となっており第24航空戦隊司令部、725空、281空などの約2900人からなる部隊が駐屯していました。

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この軍事郵便のアドレス「横須賀局気付ウ115ウ31」は、ルオット(ウ115)施設部出張所(ウ31)の事です。
消印は、半田、18年3月11日差出です。

ルオットは米軍の反攻作戦の初期段階として、19年2月2日に玉砕しました。
この軍事郵便には米軍の「野戦統合情報検閲済」印が押されており、米軍に日本軍玉砕後、摂取されたものとわかります。

この軍事郵便の真ん中の折り目は、宛先人の日本兵のポケットなどに折って入れて有ったものと言われています。
(摂取品の葉書や手紙には、二つ折りや三つ折り、四つ折りに折り目の付いた軍事郵便が非常に多く存在しています。)

押収品

ブログ解説記念月間の最終日、本来なら第3弾、あの方の登場なのですが・・・やめましたΨ(`▽´)Ψ
(実は、画像取り込みに使おうと思っていたマテリアルが難物で中々スキャナーが言う事聞いてくれません。急遽代原稿です。)

そこで紹介するのは、当会の収蔵品の柱の一つである、押収品です。

押収品とは、当時日本と戦争を遂行しようとしていた米軍が、日本軍の情報収集の為に、戦った日本軍から、情報採取した資料の事です。日本からの兵士宛の軍事郵便もその例外ではありませんでした。

押収品は、一部降伏した将兵より直接回収した物も存在しますが、その性格上、殆どが亡くなられた将兵より直接回収した物です。

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このカヴァーは、昭和19年米軍上陸直前にサイパン島に到着した物です。カヴァーの宛先のアドレス、「ウ11」はサイパンを示し、その次のアドレス、「備7920部隊」とは、31軍司令部の事です。
この手紙の宛先人は、司令部要員として、主力部隊より先にサイパン島に赴任しています。ですから、このアドレスでサイパンに手紙が着いているのです(31軍の主力が、サイパンに到着するのは米軍が上陸する直前なので、他の31軍主力の兵士宛てに手紙が届くのは理屈上無理です。)。
そして、このカヴァー右下に押してある判子「EXAMINED IN THE FIELD/PASSED BY/JOINT INTELLIGENCE」の印は、米軍の情報部の摂取印です。
多分、確実にこの手紙の主はサイパン島でお亡くなりになっているとおもわれます・・。

合掌。

米軍の作戦上、押収さてた物はわかりますが、一般兵士の戦利品感覚で取り扱われた俗に言う「剥ぎ取り品」と言うのも存在します。
その様なものが、外国のミリタリーマニアの間で流通している事実を考えると、なんだかいたたまれない気持ちに成ります。

当会の方針とは別に、このブログでは私の独断でこの分野の収蔵品を独立して扱う事にいたします。
この「押収品」の数々を目の前にすると、私は、個人的にナショナリズムが擽られて仕方なく、本人は国へ帰れなかったのですから、せめて手紙だけでも、日本の地に還してやろうと考えてしまうのです。

今日は、少し重い事を書いてしまいました。

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プロフィール

324-磯風

Author:324-磯風
1972年生まれ 男
軍事郵便保存会・関西事務局員
趣味と酒、食、女、宇宙戦艦ヤマト、インドア生活(休日)をこよなく愛す
趣味・秘密
本業・割と堅い職業
ニックネーム?・黒い服着た悪魔
トレードマーク・Ψ(`▽´)Ψ
PC系・電気系(家電も含む)が完全に駄目な私ですが、何時まで続ける事が出来るのやら・・よろしくお願いいたします。

注意事項
このブログ中で使用している画像、及び文章は転載、コピー厳禁です。

※画像は「くらげ亭」さんのHPから使わせていただきました。

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