タクロバン
今日もレイテ特集、第三弾です。
レイテ島のタクロバンに米軍が上陸を開始したのは、昭和19年10月20日の事、今日は同じ日なので、こんな郵便物を持ってきました。
(昨日の記事で通称号「星」の部隊の話題を期待していた方・・ごめんなさいΨ(`▽´)Ψ )

これは、フィリピンの日本占領時の封書料金5センタポ(正刷切手)を貼って、19年7月29日にセブ島のセブから差し出された手紙です。

裏面です。
宛先のレイテ島タクロバンの郵便局には8月14日に到着しています。
が!
宛先の地区は当時、抗日ゲリラの制圧地域だったので配達出来なかったのでしょう。
この郵便物は、そのままタクロバンの郵便局に取り置きされている処を上陸して来た米軍に摂取されたものです。
(米軍の摂取印は、「JOINT INTELIGENCE」ではなく、米軍の基地所属の摂取官の印が押されています。)
今日は、毛色を変えて民間の摂取便を紹介しました。
このレイテ島の戦いで、日本将兵8万4千の内、7万9260人が戦病死されました。
レイテ島のタクロバンに米軍が上陸を開始したのは、昭和19年10月20日の事、今日は同じ日なので、こんな郵便物を持ってきました。
(昨日の記事で通称号「星」の部隊の話題を期待していた方・・ごめんなさいΨ(`▽´)Ψ )

これは、フィリピンの日本占領時の封書料金5センタポ(正刷切手)を貼って、19年7月29日にセブ島のセブから差し出された手紙です。

裏面です。
宛先のレイテ島タクロバンの郵便局には8月14日に到着しています。
が!
宛先の地区は当時、抗日ゲリラの制圧地域だったので配達出来なかったのでしょう。
この郵便物は、そのままタクロバンの郵便局に取り置きされている処を上陸して来た米軍に摂取されたものです。
(米軍の摂取印は、「JOINT INTELIGENCE」ではなく、米軍の基地所属の摂取官の印が押されています。)
今日は、毛色を変えて民間の摂取便を紹介しました。
このレイテ島の戦いで、日本将兵8万4千の内、7万9260人が戦病死されました。