2017-10

戦死公報

安芸仁義無き初夏抗争、画像のみのズボラさん特集Ψ(`▽´)Ψ

郵便(軍事郵便)では無いですが、資料としては重要なものでしょう。
戦死公報入りの封筒と内容物です。

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この方は、ニューブリテン島で戦死されています。


今日は、おちゃらけ無しです。
合掌。
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民間人の野戦局使用-WW1編

今日は、WW1時の民間人が野戦郵便局を使用して差し出した有料便をご紹介しましょう♪

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消印は、済南の野戦局で、ちょい印影は薄いですが日付は、大正7年5月22日となっています。台葉書は、支那加刷の分銅葉書を使用しています。
肝心の差出人は、三菱商事の派遣員です。


明日(今日)は、大阪でちょいとしたイベントが在るみたいですので、時間が出来たら顔を出してみようかと思案中です・・・・・が、最近・・・疲れが溜まって居るのか毎日が眠いです。

初代「宗谷」

今日は、磯さん個人的に大好きお船シリーズ、宗谷級二等巡洋艦「宗谷」です♪

この「宗谷」という船、2代目の「宗谷」は波乱万丈な生涯を送ったとして有名ですが、この初代も中々に波乱万丈な生涯の彼女なのです。

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大正元年8月12日、横須賀の海軍砲術学校から、朝鮮の仁川に停泊中の宗谷に宛てた葉書です。

この初代の宗谷は、アメリカ、ウィリアム・クランプ&ソンズ/フィラデルフィア(ペンシルヴァニア)造船所で1900年(明治33年)7月に竣工し、ロシア、ワリヤーグ級防護巡洋艦「ワリアーグ」と銘銘されました。
明示37年の日露戦争開戦初期の2月9日に、韓国仁川港外で装甲巡洋艦浅間等と交戦後、港内で自沈。明治38年8月8日に、日本が浮揚、22日、軍艦「宗谷」と改名し、日本へ回航、横須賀工廠で修復。明治40年11月に再就役させました。
大正3年に第1次世界大戦が勃発すると、日本は連合国の一員となり、同じく連合国のロシアに、日露戦争時の戦利艦を返却する事を決定、この宗谷も大正5年4月4日付けで、日本の軍艦籍を除籍され、5月4日、ウラディヴォストークでロシアに返還され、再び巡洋艦「ワリヤーグ」と改名。1921年(大正10年)解体されました。

2代目の「宗谷」は、駆逐艦の「雪風」と並んで強運艦として有名で、一時期私の欲しい艦(カヴァー)の中でも上位に入るぐらいお気に入りの船です・・・ので、又、別の機会にご紹介しますね♪・・・・・しっかし・・・「地鎮丸」時代の「宗谷」が欲しい(><)っと我侭未だに言い続けているのですが・・・中々「地鎮丸」は入手出来ません(TT)。
因みに・・・一昨年の年末にハセガワから発売された「宗谷」の1/350模型(初回生産版)を思わず専用エッチングパーツと共に購入・・・未だに倉庫に積みあがっているのは内緒ですΨ(`▽´)Ψ


おっ今日は久々にちょい真面目モードな気がしますね・・・うきゃぁぁ(><)

兵事(事務)

今日は、徴兵事務の為に役場から差し出された葉書をご紹介しましょう。

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まぁぁ・・・見たままのアイテムです♪

ここん所、濃いぃぃぃネタばかりで、ちょい、飽食気味かな?っと思いましたので今日は、こでだけΨ(`▽´)Ψ

明日は、晴れるかなぁぁ・・・・(独り言モード全開Ψ(`▽´)Ψ by麻雀放浪記w

恤兵部発行絵葉書

ここの所、何故、大掃除(整理)してるかと言いますと、とある方の依頼で、陸軍と海軍の「恤兵部発行絵葉書」の調査のご協力の為、あちらをゴソゴソ・・・こちらをゴソゴソ・・・。
いやぁぁ・・・今まで、まともに分類してなかったものですから大変です。表の使用例や部隊別の整理は割りと出来てる??つもり???なのですが、如何せん裏(絵葉書かどうか)は見てませんから・・・私・・・。
なんやかんやで、ゆうパック大に2箱以上の絵葉書を発掘・・・汗。
まだ、収蔵庫の奥の方にも在るみたいですが、一旦、休憩で、恤兵部発行絵葉書の銘版や種類の分類・・・恤兵部発行封緘も同じ様に・・。
多分、この調子で探すと後1~2箱以上は発掘出来そうですw。
梅雨独特の蒸し暑さの中の軍事郵便との葛藤・・遠い世界が見えて来そうな雰囲気です(テーマソングは、もちろん「ゴダイゴ」のガンダーラ♪)。
これを期に、私も「恤兵部発行絵葉書」も真面目に収集してみようかと思案中ですΨ(`▽´)Ψ 。

とりあえず今日の画像は、そんな「恤兵部発行絵葉書」の一部をUPしておきましょうw。

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青紙軍事の石版絵葉書

この軍事葉書の「赤紙軍事」(軍事郵便葉書)には、戦地などを描いたスケッチを石版印刷して、各軍が色々な行事に発行した絵葉書が有名です。
今日、ご紹介するのは、普通・・・その「赤紙軍事」が台葉書になっているものなのですが、「青紙軍事」を台葉書にした例をご紹介しましょう♪

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消印は、第三軍/第二野戦郵便局 甲で、明治37年7月7日差出の軍事郵便です。
残念ながら、磯の勉強不足で、何の記念(どの部隊発行)なのかは判りませんm(_)m。
使用例(野戦局の判子)が欲しくてオークションに入札したおまけでした・・・・汗汗。まったまにはこんなラッキーパンチも無ければやってられませんよね♪(いつもは正面向いてどつき合いなんですから・・・(TT))

発掘品シリーズ・・・まだまだ続きます♪

観戦武官

今日は、久々に??発掘された品物をご紹介しましょう♪

日露戦争当時、日本に在ったフランスの公使館に派遣されていた「コルヴィザール男爵」(騎兵中佐)は、戦地に直に視察(観戦)目的として派遣されていました。
これは、そのコレヴィザール中佐に宛てた、在日本フランス公使館からの書留軍事郵便です♪

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差出は東京の麻布局で、明治37年12月3日の差出です。

まぁぁぁ・・・切手収集の世界では、この方(コルヴィザール氏)のカヴァは沢山残されていますから、別に目新しいものでは無い、マテリアルですね・・汗・・・この同じタイプの使用例も沢山残されていますし・・・。

発掘品特集・・・今週は、これで行きましょうか??Ψ(`▽´)Ψ

東京鎮台

今日は、少し古い時代物をw

東京鎮台に宛てた葉書です。

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東京、明治16年7月10日差出の小判葉書です。
ただ・・残念なのは、右下の5厘切手が脱落している点でしょうか・・・。でも、磯はこの時代のマテリアルが大好きなので、そんな事は全然気にならないのでした♪



今・・・マテリアルの所蔵庫を毎日少しずつ整理してます。
お!って発見あり・・・こんな所に・・・ってマテリアルあり・・毎日がプチ発掘現場状態です。
数年ぶりに発掘されるものも多いので、その辺りのものも、逐次UPしていきますね♪

ただ・・・本当に整理が出来るのだろうか・・・自分が見ても、余計に散らかってる様にしか見えんからなぁぁぁ・・・。

検閲免除印

今日は、戦後の使用例です。(連合軍サイド)

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この印の№が「1006」と言う所だけが・・・まぁぁ面白い所でしょうかΨ(`▽´)Ψ

基本的に、あちらさんサイドの使用例は、個人的に余り好きでは無い、磯でしたΨ(`▽´)Ψ (まぁぁ・・一応、一通りは集めておりますが・・・やっぱ、力が入らないんですよねぇぇ・・・。)

兵部省

昨日の発言・・・したの乾かぬ内に早速、約束反故ですΨ(`▽´)Ψ
今日は、「兵部省」差出の手紙をご紹介しましょう♪
(裏面だけは、このブログの、初期のほんの初期にご紹介しています♪)

以下、兵部省の説明は、きちんと家の文献で調べるのが面倒だったので、ネット上の事典「Wikipedia」の丸写しですΨ(`▽´)Ψ ・

{明治時代に設置された省庁の一つ。軍事防衛を管轄する機関。現代の防衛省にあたる。
王政復古によって、征夷大将軍が廃止されたことにより、その他の朝廷の省には、権威が複活することとなった。1869年7月8日の官制大改革により軍務官に代わって軍事防衛を司る機関としても設置された。兵部卿には小松宮彰仁親王が就いたが、実権は次官である大輔(大村益次郎・前原一誠・山県有朋)が掌握していた。1872年2月に薩摩閥および長州閥からの要望により廃止され、陸軍省と海軍省が新たに置かれた。これ以後、終戦に至るまで、一つの仕事をするために、二機関が存在することとなり、統制が難しくなった。} 以上、丸写し終わり。

さて、ここで重要になって来るのは、兵部省が廃止された年です。
1872年2月(以下全て太陽暦)・・・・っと言う事は・・・郵便の創業が1871年(明治4年)4月20日で、「龍文切手」が使用開始されています。日本の切手の次のシリーズの「龍銭切手」の発行は1972年4月1日・・そう、兵部省は理屈の上では「龍文切手」の使用時期しか存在しない役所なのです。

いやぁぁ・・・我が軍事郵便保存会のスタートになるべき(切手使用時代・・・もちろん、それ以前の手紙にも力を入れております♪)マテリアルなので、各オークションなどで網を張り続け・・・苦節3ヶ月(あれ?)とある関西のオークションにひっそりと出品されて居たのでした(購入時期はもうだいぶん前の出来事です。)。それも、なんと!!売れずに値段を下げ続け3度目の再出品(><)・・・まぁぁ・・我が軍事郵便保存会の手元に来るべき「縁」のマテリアルだったのでしょう・・・w。

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貼り付けて在る切手は、龍100文切手の第1版・・・消印は「大坂検査済」印とこのタイプの使用例としては、駄物中の駄物です(しかも印映は最悪やし・・・なんで、「大坂検査済」印はこんな印映ばかりなんやろう??)裏面に9月9日発信とあり、本来なら差出年不詳なのですが、この「兵部省」との組み合わせで、明治4年の使用と断定できます。
因みに、蛇足なのですが表に在る朱印の「丸郵」印は、郵便最初の箱場(郵便ポスト)投函の印の印と言われています。

う・・・ん・・・・まぁぁ・・・欲しいと思って約3ヶ月ですんなり手に入れたアイテムですが・・・それ以降、全然見かけないので、やはり運がめちゃくちゃ良かったのは、事実なのでしょう♪


今日は、真面目な様で・・・裏切り(昨日の宣言)まくりの記事UPでしたが、今日UP用のマテリアルを探していて、久しぶりにこいつを見かけたのでついついUPしちゃいました♪・・・・明日はどんな記事をUPしましょうか?Ψ(`▽´)Ψ

補給物資

いやぁぁ・・・・いつもの軍事郵便保存会のペースのブログに移行の予定が、いざとなって本調子じゃないっつうか・・・なんと言いますか・・・。
っと、思っていたら・・・なんと、東の事務局長から補給物資のダンボは♪(陥落寸前の我が東部方面軍はまだまだ持ちこたえられそうですΨ(`▽´)Ψ )

さて、今日UPのマテリアルは・・・・慰問箱の中をゴソゴソ・・。
うん♪これにしましょう♪

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海軍の第9海軍軍用郵便所・第2派出所差出の軍事郵便で、差出の日付けは、昭和16年4月10日です。
詳しい説明は・・・・。

まだ到着したてなので全然調べてませんΨ(`▽´)Ψ キッパリ。



まぁぁ・・もしかしたら、この記事は数日中に書き直す「・か・も・」知れません・・・(爆)
今日は、この辺にてm(_)m

明日は、とある方のリクエストの軍事郵便を真面目にやりたいと思いますのでご期待ください♪

海軍省第3局第3課

香港特集組もうとおもいましたが・・・・・止めましたΨ(`▽´)Ψ ・・あっさりと♪

・・・って、事で日清戦争以前の日本の軍事関係のカヴァーを持って来ました♪

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海軍省第3局第3課差出の葉書です。
使用されている葉書は、当時の官製葉書で、「小判1銭葉書」です。
日付は、東京西久保局、明治24年11月9日です。

久々にこんなのも如何でしょうΨ(`▽´)Ψ

軍艦郵便

すいませんが、もう数日こんな状態が続くと思います。

ズボラ画像のみUPシリーズ・・・今日は「軍艦郵便」です。
「軍事郵便」と漢字一字違いですが・・・実は(あたりまえかΨ(`▽´)Ψ )全然違う郵便制度です。まぁぁ・・一族的には「パックボウ郵便」なんかの一族と考えると早いですね。
だから、今日ご紹介するこれは、名前は似てますが「軍事郵便」ではありません。

このマテリアルは元旦スペシャル18時に掲載したものです。

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英国からの軍艦郵便です。

小倉鎮台

今日もΨ(`▽´)Ψ ズボラ記事です・・・ハイ♪

今日は福岡県の小倉鎮台に宛てた郵便物です。

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差出は、明治22年7月28日となってます。

日清戦争前の軍隊モノの郵便物も真面目に収集してみると、そこから判る事も多く、重要な収集分野と考えています。


1月の中ごろにひいた風邪が全然治りません・・・これはもしかしたら、新種のサーズかもしれませんΨ(`▽´)Ψ
・・・何とかならんかなぁぁ・・・・この咳・・・。

南部仏印進駐

先日、北部仏印進駐をやったので、今日は南部ですΨ(`▽´)Ψ (安易だとは言わない様に!!事実、安易なんだから・・・爆)

1941(昭和16年)6月22日、ドイツがソ連に対してバルバロッサ作戦を開始しました。日本は、日米交渉が進展しない中、日本のライフライン南方資源地帯への進出基地とする為、7月に南部仏印進駐を開始しました。この事態を受けてアメリカは日本に対し、さらに態度を硬化させ、対日石油輸出禁止、在米資産凍結など厳しい経済制裁を科せました。さらに、英国、蘭印なども対日石油禁輸に足並みを揃え、「ABCD」包囲網に囲まれた日本は、四面楚歌の状態に陥りました。

今日、紹介しようと思うのはそんな南部仏印に進駐した部隊の軍事郵便です。

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昭和16年10月25日、第207野戦郵便局差出の軍事航空便です。

この部隊は、近衛歩兵第4連隊第3大隊で、先日ご紹介した近衛第2師団に属した部隊でした。この部隊、主力はサンジャック先遣隊として7月29日、サイゴン外港のサンジャックとバリアに上陸しました。
アドレスは、先の北部仏印進駐と同じ西村部隊気付となっていますが、西村兵団の印度支那派遣軍は6月に一時解体され、本格的な野戦旅団の独立混成第21旅団に改編されています。

北部仏印進駐

ポーランドをソ連と分割したドイツは、続いてノルウェー、デンマークに侵攻、1940(昭和15年)年月にはパリが陥落、フランスが降伏、フランス南部には、親ドイツ政権のヴィシー政府が樹立し、フランスの植民地は、イギリスに亡命した政府とどちらに付くのか、意見が分かれる事となりました。仏領インドシナもこの選択をせままれ、ヴィシー政府側につきました。
この頃、日本は蒋介石ルートに悩まされており、このルート遮断の為、北部仏印進駐を、三国同盟を利用して、ヴィシー政府に認めさせました。しかし、この事は、アメリカの対日態度を硬化させる事ちなり、ルーズベルト大統領は鉄くずの対日禁輸などの経済制裁を行いました。

今日、ご紹介する軍事郵便は、北部仏印進駐の為、仏印の国境に近い広西省の竜州に開設された第205野戦郵便局引き受けの軍事航空便です。

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この北部仏印派遣軍は西村琢磨少将を司令官に昭和15年9月に編成された部隊で、南支那方面軍の隷下で平和進駐を目的として仏領インドシナに進駐しました。しかし一部では現地でも意思の疎通による武力衝突も有り、実際は大変リスクの大きな作戦になってしまいました。

※今日の軍事郵便のアドレスにある、鈴木(和)部隊三橋部隊は、部隊名を調べるのが面倒なのでいつもの如くズボラしちゃいました・・・・・てへっΨ(`▽´)Ψ

三国干渉

今日は歴史的なお話おば・・・・Ψ(`▽´)Ψ

明治28年、日本は日清戦争の勝利によって、清国から遼東半島と台湾の割譲を受けました。しかしその直後から、日本の有益条件を面白く思わない、ロシア、ドイツ、フランスの三ヶ国は、日本に遼東半島の変換を要求してきました。そして三国は艦艇を芝罘沖に集結させて無言の圧力をかけてきたのです。三ヶ国が相手では海軍力では到底、太刀打ち出来なかった日本は、泣く泣くこの理不尽な返還請求に応じなければ成りませんでした。逆にこの三ヶ国はその見返りに清国から権益を取得し、ロシアは東清鉄道の敷設権などを所得しました。これを「三国干渉」と呼びます。

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この手紙は威海衛を再占領した歩兵第7連隊からの有料一般便です。
軍事郵便ではありません。
消印は、威海衛第一野戦局 明治31年1月17日です。

清国との戦いで多くの将兵の血を流して手に入れた権益を手放すのは、当時の国民感情としては耐え難い事で、「臥薪嘗胆」の言葉が歌われ、後の日露戦争の原因で引き金になった出来事でした。

たまにはこんなネタもどうでしょうか?

創成期

今日は、毛色を変えて明治の軍隊創成期の頃の軍事関連の手紙をばご紹介しませう。

先ずは陸軍さんから♪

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陸軍省の参謀局の測量班に宛てた市内用の葉書です。
データーは、脇無し半銭葉書「チ」、東京 明治7年10月15日の抹消印と証示印が有り、裏面に湯島の局所印があります。
(実を言うと・・開いてスキャンするの忘れて・・・やり直すのも面倒だったんで、そのままUPしちゃいましたΨ(`▽´)Ψ )
内容は、まぁ・・請求書みたいなもんですw

次に海軍さん

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こちらは、今の兵庫県姫路の飾磨県から東京の史官に送った布告と職員録の受領書です。
データーは、脇無し1銭葉書「オ」、イヘ第壱号(記番印)抹消、姫路8年4月15日証示、東京8年4月18日到着印が有ります。
一見、軍隊と関係なさそうな葉書ですが・・・・実は、この受領した職員録がネックでして・・・海軍の職員録もこの中に含まれていたのです♪

たまには、こんな時代の軍隊モロの郵便やこじ付けマテリアルも良いでしょうΨ(`▽´)Ψ

黒船

面白い物を手に入れました。

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黒船(ペリー)来航時(嘉永6年6月3日〔陽暦1853年7月8日〕)に浦賀の近辺の役所に出されたお触書です。

内容は・・・・すいません、さっき届いたばかりなのできちんと掌握しておりません。

まっなんにせよ、この後、日本は長い鎖国をやめ、開国して近代の歴史を歩むのは言うまでにもありません。
我が、軍事郵便保存会の明治の軍隊創設、近代戦争の幕開け、そして日清戦争における、初の軍事郵便制度確立に至るまでを説明する為の貴重なアイテムとして、収蔵目録に名前を連ねる事が出来て、本当に喜ばしいです^^。

当会で、この当時のマテリアル(材料)として所蔵しておりますものには、陸軍第二次フランス軍事顧問団(一次より三次まで有り、第二次は1872年~1880年まで・注1)のルボン砲兵大尉や、メニィウーの差し出した手紙(在日フランス局の郵便・注2)及び軍事郵便(フランスの軍事郵便)や、明治4年(1871年)、兵部省(注3)の手紙などがあります。

注1:現在、第一次顧問団の手紙は発見されてません。
注2:日本の開国当初には、日本にはまだ、外国に郵便を送れる制度も無く、しかも治外法権も無かったので諸外国は、自国の郵便局を日本の開港地に設置していました。そこでは本国の切手が使われ本国の郵便逓送ルールで郵便が取り扱われました。因みに、日本に有った外国の郵便局は、アメリカ・フランス・イギリスの三ヶ国でした。
注3:兵部省は、明治5年2月までの役所で、その後は陸軍省と海軍省に別れました、よって郵便でこの役所差出の郵便物は理屈の上では、龍文切手(3月1日〔太陰暦〕)貼りの郵便物にしか存在しません。

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ルボン砲兵大尉にフランスから宛てた書状です。

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兵部省の手紙です。

今日の入手品は、後日改めて勉強してご紹介いたしますね^^。

・・・・・・・この記事って雑記なのかなぁぁ??

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プロフィール

324-磯風

Author:324-磯風
1972年生まれ 男
軍事郵便保存会・関西事務局員
趣味と酒、食、女、宇宙戦艦ヤマト、インドア生活(休日)をこよなく愛す
趣味・秘密
本業・割と堅い職業
ニックネーム?・黒い服着た悪魔
トレードマーク・Ψ(`▽´)Ψ
PC系・電気系(家電も含む)が完全に駄目な私ですが、何時まで続ける事が出来るのやら・・よろしくお願いいたします。

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